新美南吉の童話『おじいさんのランプ』で、おじいさんが日露戦争のころのことを語っている 。
村に一軒しかない商い屋には村で使うたいていの物を売っていた、そこでは、駄菓子、わらじのほか、膏薬、貝殻に入った目薬を売っていたとある。
この目薬は膏薬と同様に貝殻に入っていた練り薬の一種であるが、水でといて、羽根であるいは布で目に液をたらして使った。
明治のはじめ、ガラス製の点滴容器入りの液体の目薬が出るまでは、この貝殻目薬がもっぱら用いられていた。
膏薬は練り薬ともいい、江戸時代では内服する場合と外用に使う場合とがあった。
膏薬は内用の場合は舐めるのが一般的であるが、外用として用いるときは、今日の軟膏とは異なり、膏薬を貼るというのが一般的であった。
外用の膏薬は江戸末期から明治になってからは、和紙に薬剤を展延して、あるいは貝殻の膏薬を削り取って、使用時にこれを暖めて薬剤を軟化して、患部につけるという剤形であった。
今は外用剤として半固形製剤という分野に入れている。
膏薬は今の軟膏よりも固くて水分は少なく、この薬剤の容器にはハマグリの貝殻が用いられた。
広告では膏薬一貝いくらと出ているので、販売の単位にもなっていたようである。
村に一軒しかない商い屋には村で使うたいていの物を売っていた、そこでは、駄菓子、わらじのほか、膏薬、貝殻に入った目薬を売っていたとある。
この目薬は膏薬と同様に貝殻に入っていた練り薬の一種であるが、水でといて、羽根であるいは布で目に液をたらして使った。
明治のはじめ、ガラス製の点滴容器入りの液体の目薬が出るまでは、この貝殻目薬がもっぱら用いられていた。
膏薬は練り薬ともいい、江戸時代では内服する場合と外用に使う場合とがあった。
膏薬は内用の場合は舐めるのが一般的であるが、外用として用いるときは、今日の軟膏とは異なり、膏薬を貼るというのが一般的であった。
外用の膏薬は江戸末期から明治になってからは、和紙に薬剤を展延して、あるいは貝殻の膏薬を削り取って、使用時にこれを暖めて薬剤を軟化して、患部につけるという剤形であった。
今は外用剤として半固形製剤という分野に入れている。
膏薬は今の軟膏よりも固くて水分は少なく、この薬剤の容器にはハマグリの貝殻が用いられた。
広告では膏薬一貝いくらと出ているので、販売の単位にもなっていたようである。