堀修・第3解剖教授・研究科長関係者の事件への登場
(医学部大学等事件237)
コメント欄以外にも、私信で次のようなご指摘やご質問などを頂戴しています。
●(逮捕後に2回目の)長期入院中の学生に今年2月に自宅謹慎を命じたという主張書面を、金沢大学が申し立てた事件で金沢大学が裁判所に提出して小川にも送られてきたというが、本来の自宅謹慎の命令権者は学長か、部局長か、医学類長か?
●第3解剖(神経解剖学)関係者が裁判や刑事手続、逮捕などにしばしば登場するが、時系列で出来事を並べてみたらどうか。
今回はこれらについて述べます。
1、「長期入院中に自宅謹慎命令」の主張文書冒頭と学内規程での命令権者
金沢大学が6月11日付で作成し裁判所に提出して、私の代理人弁護士へ約1ヶ月後に裁判所からファックスで送られてきたその書面の冒頭は、次の画像です。

本来は相手方である小川の代理人へも金沢大学側から直送が必要ですが、金沢大学代理人が直送を忘れていたと裁判所が説明し、裁判所から約1ヶ月後にファックスで送られてきました。
昨年12月から4月27日までの入院期間だと金沢大学が主張する、期間の中頃である2月26日に自宅謹慎を命じた、という内容です。
学生への自宅謹慎の命令権者について、金沢大学の規程では、部局長となっています。
2、第3解剖(神経解剖学)関係者の事件等への登場(時系列)
2005.10 小川が前任地大学助手から金沢大学助教授に転任(後に准教授に)。
2006.1 当時の薬理学教授の不正経理を大学本部に相談、すぐ漏洩し、否認に転じた。
2006.3 金沢大学が一旦「不正なし」の結論を出すとともに、当時の小川智・第3解剖教授が、賃貸住宅の小川の隣室へ同月下旬に入居してきた。
この間、不正経理有無の争いが続き、職場で小川が頭を床に叩きつけられて1ヶ月休業のケガ、当時の事務部長が労災で処理するよう指示した。1ヶ月で復帰し、金沢大学に対する裁判所調停など。
2007.3 当時の薬理学教授が不正経理を理由に出勤停止2ヶ月の懲戒処分に。
2008.3 「殴られた、見たね、B君!」「ハイ!わかりました」で傷害事件ねつ造開始、
当時の第3解剖・OK研究員が薬理学教室に居て、警察への通報を直ちに申し出た。
(後に訴訟で、B技術職員は殴るのを見ていないと認め、小川へ解決金を支払い和解)
2008.4 第3解剖・OK研究員が薬理学教室の助教になった(以下、「OK助教」)
2008.7 当時の小川智・第3解剖教授が、教授会で若くして辞職のあいさつ(翌月辞職)、後に堀修氏が教授になる。
2009.11 当時の部局長が、「傷害事件が起きた」情報について、教授会で小川の名誉回復措置をして、裁判で和解
同月のその後、「小川に『突き飛ばされた』と叫ばれてOK助教が不眠になって労災だ」の組織的ねつ造が始まり、翌2010年1月にOK助教や総務課長などを提訴、同年3月にOK助教は若くして退職した。
2012年4月 裁判で被告側が次のことなどを認め、被告側が小川へ解決金を支払い、OK元助教(被告の1人)が労災請求を取り下げることで、和解が成立した。
・小川は「突き飛ばされた」発言をしていない。
・大声を上げたのはOK助教のほうで、薬理学へ来ていたT・第3解剖技術職員が遠ざかって行ったため聞こえるように大声を出した。
・OK助教は、M病院(後の逮捕学生と同じ病院)で精神科名誉教授の診療を1回受け、血液検査で高脂血症(正式名称は「脂質異常症」)の結果が出ていたものの、その検査結果を聞かずに、(労災の請求時効が近づいた)2年近く後になってから検査費用などを労災請求した。
・OK助教は「不眠だった」と主張している時期も、週1回の病院当直アルバイトを休まず続けていた。
・当時の総務課長(和解時は事務部長)は、「冷蔵庫の使い方の会話があった」ことを確認して、その確認でもって「小川に『突き飛ばされた』と叫ばれてOK助教が不眠になって労災」だと証明しようとした。
2017.3 金沢地裁が、金沢大学に対し、教育妨害、研究妨害、名誉毀損、職場環境整備義務違反などを理由に、小川へ賠償金を支払うよう命じる一審判決を出し、金沢大学は控訴せず翌月確定した。
2017.夏から秋口 「薬理学」科目について、小川が点数と成績の逆転があることに気づいて指摘すると、金沢大学が小川へ成績入力を依頼したが、その後、ID・パスワードなどを現在まで与えず、入力できない状態のまま。
2017.12 堀・第3解剖教授が、「調査委員長」と称して面談を開き、小川が提出済みの書類を「提出がなかった」と主張して打ち切り、後に書類送検され、現在も裁判で係争中。
2018.3 定期試験終了の約10分後に、堀研究室のアルバイト学生(後に入院させられ退院後に逮捕されることになる)が小川を訪れ、寝坊したので今すぐ同じ問題で受験したいと申し出た。すぐに同じ問題での受験は無理なので、後日で良いので診断書を出しておいたほうが無難と説明した。「寝坊」の説明に加え、後に提出された診断書内容と言動の不一致があるなどしたため、追試験は認めず再試験(満点を取っても合格最低成績のC)のみ認めることにしたが、同年12月には普通に受験してCだった学生よりも良い成績のBになっていた。
同月、前年秋から点数入力ができない状態が続く中、金沢大学が小川に対して、点数提出を求めて提訴した。実質的には点数提出義務の有無の争いだが、2年半が過ぎた現在も金沢大学は証明できない。
2019.2 金沢大学が、懲戒に必要な手続き(文書の交付など)をせずに、学内外へ小川の懲戒情報をいきなり発信した。
2019.3 上記の堀研究室のアルバイトだった学生が、半年ではなく1年間の休学届けを出すよう指示され、M病院に入院、なかなか退院が認められず(退院請求を審査するのは、石川県精神医療審査会)、小川の懲戒不服審査手続が終了した4日後にやっと解放された。
2019.6頃より 解放された当該学生を支援している者のような書き方で、小川のブログに、堀教授などにひどい目に遭ったこと、当該学生が精神科病棟へ閉じ込められて退院請求も認められなかったこと、大学が入院させたり退院させないようにという指示を出して良いのか、これらの情報を全て公開して欲しい、という投稿が始まったが、小川は慎重にごく一部を公開するにとどめた。
2019.7 翌月(8月)19日に東京地裁で堀・第3解剖教授らを被告とする裁判の第1回口頭弁論が予定されていたところ、小川の本物ブログの写真などを貼り付けた偽のブログが立ち上げられ、小川になりすまして「裁判は中止」などの虚報が投稿された。
2019.8.19 東京地裁の上記裁判は予定通り開かれ、偽ブログでの虚報流布にもかかわらず22名以上が傍聴した
その数日後、「殺すぞ」「放火するぞ」といった脅迫の投稿が始まり、断続的に続くとともに、同じIPアドレスから脅迫以外の嫌がらせの着信も止まらないため(堀教授などへの恨みと思われる投稿も続いた)、秋に被疑者不詳で刑事告訴した。
2019.11 当該学生が逮捕され、警察発表として実名と容疑を認めていることなどが、新聞、テレビ、Yahooニュースなどで報道された。その直後、担当の刑事さんは、(退院後の投稿の)はじめの頃は小川さんに助けを求めていたのではないか、と説明した。
2019.12 延長された拘留期限が切れる日に、検察の担当副検事から小川へ電話があり、措置入院させるので別の形で拘束が続く、M病院以外の県内の病院になる、と説明があったが、後の金沢大学の主張や本人からの情報によるとM病院であった。
2020.2 前年のネットでの脅迫、暴言、なりすましなどについて、金沢大学ほか2名を、東京地裁に提訴。しばらくして、金沢大学はこの訴訟を、金沢地裁へ移送するよう申し立てた。
2020.4 「調査委員会」と称して面談が開かれたが、委員は名乗るのを拒否して2回引き上げ、3回めにやっと名乗った。1名は石川県精神医療審査会の弁護士であることが、後に判明した。
2020.6.11 この日付けで金沢大学が上記1の画像の「長期入院中の2月26日に自宅謹慎を命じた」の主張書面を作成し、約1ヶ月後になって、(本来の金沢大学あるいは同代理人ではなく)東京地裁からファックスで送られてきた。東京地裁は、「金沢大学代理人が小川側へ直送するのを忘れていた」と説明した。