不思議発見?! 《Yeah》の巻 | 420§麻人リブミンのお戯れブログ§420

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動画プレイヤーを組み込んでますので気分で音楽を流しながら読んで下さいね。

Yeah!という喜びの感情!は何だ?!


今回の記事はわざらしい言い回しで少し古臭いポエムっぽく生意気そうに書いてます






Mogwaiのライブ動画を見てると叫んでる彼らの感動と奇跡の感情と意味を考える。

Mogwaiを愛する同じファンなので全くもって同じ感動を彼らと共有するが、元来僕はシットリと流れを感じる質だ。

ただ『Yeah』と表現してみれば相手に分かりやすいから便宜的に使うことはある。それで、この感情表現は一体何処からきたのだろうかというのが今回のブログの趣旨になる。


現在の日本は不思議なステレオ感がする。付和雷同という言葉のような。
並々ならぬ喜びは何時も『Yeah!』と叫ばずにはいられないのか・・・などと考えてしまうのは変なのだろうか?いや、おおよその人に聞けば変とか妙と返答するのだろう。だが、しかし・・・。


なぜそれを気に止めたのかというと江戸時代、鎌倉時代、平安時代など遥か昔の時から「日本人は『イェーイ』と奇跡の感情を叫んでいたのか?」と思い至ったからだ。


『Yeah』はイギリス英語の「YES」から生まれた言葉で、語源を調べてみるともっと色々あるようだけど今回それは置いておく。


日本人は人付き合いや商売などで感謝する時には、相手の心情を察してからで・・・自分のことはとりあえず後、アメリカの場合感謝は先に言葉からなので日本人の感性とは殆ど正反対だ。思いやりの日本人とフレンドリーなアメリカ人には微妙なものから核心的な何かまでカラーの違いがある。歴史の深さが違うから当然と言えば当然の事かもしれないのですが。


それならば何故同じように表現しているのか?が今回のテーマの核心部分です


もちろん日本には他にも「ガハハ」や「ウフフ」など千差万別の喜びの表現はあるしアメリカにも色々あると思う。


だが、例えばTVのドラマやマンガなどでやる宝くじなんかが当ったシーンでは「ラッキー!イェーイ!」と子供からお年寄りまでそんな感じなのは不思議に思わないだろうか?何かこう・・・アメリカライズされているようなそんな印象があるのだが・・・。


アメリカ嫌いで批判している意味で言ってるのではないので勘違いはよしてほしい、ただ単純に僕たち日本人のご先祖さん達も同じように喜びを表現してたのかなぁって思うと違和感があって、現代の僕たちが日常の場面や画面の中で見ている「イェーイ」が無かった時代ではどうだったのだろうかという話です。


映像として見る音声付きフィルムが気になって調べてみたのだが、1936~7年頃に日本のコダック社が開発と商用化し1940~辺りからサラウンドサウンド技術が発展してきたとあるので昭和初期以前のものは聞くことができないのだろう。探してみるほどの期待は出来ない。

レコード盤なら100年程前の1900年の物が日本最古のレコード盤らしいのでやはりコレも期待出来るものではない気がする。

つまりデロリアンの様なタイムマシーンでもない限り知り用が無い。

文献でも残ってはいるが源氏物語のようなものではごく一般的な人々の描写はないし、もっと親しみやすいドラマティックがそもそも無い。


こうなると想像する他ないのだが・・・。


ネットで調べてみるとこの『イェーイ』を疑問に思う人は他にもチラホラいる様です。ただ音が無いというは致命的でどうにも調べようがないのは僕と同じようです。
日本に『イェーイ』が存在していなかった時代があったのなら、その時代では一体どの様に感動と奇跡を体現していたのか??神社やお寺で参拝する行為がそうなのだろうか?祭りを祝ってお供えをする事もそういうものなのかもしれない。

僕はこれに大変興味を誘われるので、この記事を呼んだ人の中からももしかしたら同意している者や同志が現れるのかもしれない。




色々書いてきたがそれでも『Yeah!イェーイ!』はしっくりくる表現なので便宜上使うことは然程異論は無い。だが若干感情的に薄く感じるし疑問も残るそんな感じである。


もしかしたらだが、日本にはそもそもその様な感情がなかった・・・ということも考えられなくはない。

大東亜戦争以後のアメリカの影響なのかもしれないし、日本を屈服させたかったアメリカからの言動操作や占領政策の一環であったのかもしれない・・・こういう陰謀論的なものは考え出せば際限ないが。




『YEAH!』こいつは一体どこからやってきたのだろうか??

大東亜戦争で日本が勝利した並行世界でならもっと別の感情表現であったのだろうか??



――― 完 ―――



今回の記事と方向性が違うけどこういうのも嫌いじゃないだよなぁw ↓




もしもの話だけど、大東亜戦争に日本が勝利してたらヒップホップっていうジャンルは生まれなかったのかもね。
ヒップホップって白人たちによる黒人への迫害(奴隷&差別)を謳ったモノが始まりらしいから、アメリカの白人(WAPS)が戦争に負けて大人しくしてたらSnoop DoggもDr.DreもPublic EnemyもEminemも日本のヒップホップシーンも今のものとは違うものになってたんだろうね。




この不思議発見はウケがよければシリーズ化してみようとか考えてます。

それと、今回のこの記事、完全に独り身よがりなのは自負しているので変な目で同情するのとかは勘弁願いますw


えーでは予告していた記事の予告。大麻映画②の記事ですが今週末辺にブログアップする予定です。

その後は他に下書きしているモノと書いてみたいネタも何点かあるので纏まりそうなら次第順次書いていこうと思います。

そして中山康直氏の大麻裁判の第四回目と第二回目の訴訟裁判の日程が決まったようなのでそちらの方も書いていく予定です。


第4回中山大麻裁判/中山大麻行政訴訟/のお知らせ



ではでは~( ´∀`)/~~