2020年1月22日の医療事故から4年4か月と4日が経過しました。

 

母の医療裁判は訴訟提起から2年9か月が経過し、警察の捜査もまだ続けられています。過失医師は、現在、別の病院の救急外来で勤務しておられます。

 

医療事故以降、言葉では語り尽くせないほど色々なことがありました。しかし、母と私たち家族の時計は、2020年1月22日の神経切断の瞬間から止まったままです。医療事故発生直後から母の事故は医療過誤(医療ミス)であると認めてくださっていたので、被害者である母に対して誠実に対応していただけるものと信じていましたが、過失医師にも病院にも見事に裏切られました。

 

 

以下は、4年前に過失医師の上級医にあたる医師からいただいたメールの一部です。

 

〇〇先生(過失医師)が本院に着任してまだ1年に満たないです。この間に〇〇さん(母)の事例以外にも、彼の直接執刀で複数の医療過誤が発生しており、異常と言えるレベルです。でも本質的には、指導医である僕の責任がより重大だと考えています。本当に遺憾に思い、心から内省しています。

(2020年5月6日 23時08分受信)

 

この頃には既に「複数の医療過誤が発生している」と認識していたにもかかわらず、赤穂市民病院が認めている医療過誤は、現在に至っても母の医療事故1件のみです。

 

これこそ異常と言えるレベルだと思います。

私には命を軽視しているとしか思えません。

 

 

医療事故に遭う約2か月半前

母が自分の足で歩いて行った最後のライブ

(2019年11月04日19時49分撮影)

 

(2019年11月04日20時16分撮影)

 

 

(2020年5月1日の日記より)

「権利」という言葉を使うなら…〇〇先生が母から歩く「権利」や旅行やライブや買い物などの余生を楽しむ「権利」、大切な愛犬と過ごす「権利」などを奪ったことを忘れないでほしい。

 

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

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