2020年1月22日の医療事故から今日で4年2ヶ月が経過しました。

 

母は桜や紅葉が大好きで、毎年あちこち一緒に見に行きました。写真は医療事故に遭う前年(2019年)のもので、桜の奥にぼんやりと写っている建物は赤穂市民病院です。

 

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赤穂城南緑地公園にて

(2019年03月05日撮影)

 

 

医療過誤で手術前と全然違う体になった母が退院後どうすれば自宅で生活できるか、病院側からの提案は一度もありませんでした。

 

2022年6月28日の医療事故に関する記者会見直後からは、被害者が加害者のように扱われ始め、家族の都合で長期入院になっていると言われるようになりました。

 

2021年に投薬された際、合わずに即断薬された経緯のある抗精神病薬(エビリファイ)が、2022年の記者会見後から説明もなく再度処方されました。診療明細書を見てエビリファイが処方されていることに気付き、何度も合っていないのではないかと指摘したにもかかわらず、見直されるどころか増量され、母はアカシジア(静座不能症と訳されていて、ソワソワしてじっとしていられない、体を動かさずにはいられないといった本人にとって大変不快な状態)等の副作用によって別人のようになった時期がありました。

 

当時の主治医(上級医)、心療内科の医師、病棟の師長、看護主任、医療安全、副看護部長等、色々な方に薬が合っていないことを訴えましたが見直してもらえず、妄想や幻覚、幻聴、自殺未遂等、精神的に不安定な状況が続き、アカシジアが治まらず転倒も増え、母の体はアザだらけになりました。

 

 

このままでは母が死んでしまうのではないかと思い悩んだ末代理人弁護士を通じて処方の見直し等の申入れを行いました。その申入れを行った当日の2022年9月29日、『2ヶ月ほど前に行われた上層部会議で、精神状態悪化を理由に精神病院へ転院させようと話し合われた。〇〇事務局長(当時)が「議員の方は俺に任せろ」と言っていた』と、会議に出席した病院関係者から聞かされました。

 

実際、私はある市議会議員さんから「病院からは別の病気で長期入院になっていると聞いている」と言われたことがあります。また、初めてお会いした時には「病院から聞いていたイメージと違った。もっとガンガン攻めてくる家族だと聞いていたので」とも言われました。

 

上層部会議のことを教えてくださった病院関係者に何故もっと早くに教えてくれなかったのかと尋ねたところ、「酷い話だと自覚があった。後ろめたい気持ちもあってなかなか言えなかった」とのことでした。その後、薬が見直され、かなり時間はかかりましたが、母は少しずつ穏やかになりました。

 

後に開示された当時の看護カルテは前師長の時とはガラリと記載方法が変わり、面談内容は都合良く歪曲され、明らかな虚偽記載や、「ご本人の思いをご家族として受け入れてもらえないことを残念に思う」等の記載もあり、愕然としました。

 

 

 

裁判でもこの当時のカルテ記載が都合よく抜粋されて利用されており、この件も和解が困難になった原因のひとつです。

 

 

 

この記者会見直後から翌年の転院までは地獄のような日々でした。

 

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

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