過失医との最後の面談(経緯) の続きです。

 

〇〇医師(過失医)と言葉を交わすのは前年の夏にスーパーで私からお声掛けして以来だったと思います。約1年ぶりにお会いした〇〇医師(過失医)は、前回お見掛けした時よりもかなりお痩せになられたように思いました。しかし、ハキハキした口調は救急外来で初めてお会いした時と変わりなく、「できる先生」という感じでした。

 

 

 

私が他の病院関係者からお聞きしていたこととは異なり「お正月も働き詰めで体調を崩したため、暫く休職していた」とのことでした。続けて「今は外来診察もしていない。もう来ているだけ。見事に給料泥棒みたいになっている」とも仰いました。

 

〇〇医師(過失医)ご自身が仰った「給料泥棒」という言葉は印象的で、これについては病院職員や他の医療従事者からお聞きしていたことと一致していました。

 

社交辞令的な会話の中で、〇〇医師(過失医)は母が苦しんでいるのを目の当たりにしてきたように仰ったので、主治医を外れていただいた後、夏を過ぎた頃くらいから神経障害性疼痛が酷くて叫ぶくらいの痛みがずっと続いていることをお伝えしました。

 

その時、チームカンファレンスを終えられた〇〇医師(上級医)が少し遅れてお見えになりました。

 

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

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