代理人を立てる決意 の続きです。

 

事故当時は車で片道40分程かかるところに住んでいました。頻繁に介護サービスを利用することが出来ない立地だったため、重度の後遺障害を負った母が不自由なく自宅で生活出来るとは考え難く、数ヶ月間悩んだ末に市民病院の近くへ移住する決心をしました。もちろん、主治医(当時)の〇〇医師(上級医)に退院後も対応していただけるのか等、何度も確認した上での決断でした。「退院しても救急車を乱用するしかないと思う」とお聞きし、救急車が入りやすく、急な疼痛時等に市民病院からの訪問看護が受けやすい場所を選びました。当時はコロナ禍ということもあり、なかなか外出許可が出ませんでしたが、2020年11月20日、入院から10ヶ月ぶりに一度だけ外出することが出来ました。徒歩でカフェに行き、移住予定地も一緒に見学しました。

 

移住のことは早くから病院側にもお伝えしていました。院長(当時)からも退院出来る状態になるまで放り出したりはしない、誠実に対応すると仰っていただきましたし、当時の主治医(上級医)からも退院後も市民病院が責任をもってサポートすると仰っていただき、私はその言葉を疑うことなく信用しました。

 

約束を反故にされたことは極めて残念に思います。

 

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(2020年11月20日の日記より)

12時過ぎ、病院へ。
おでんと柿を差し入れ。 

14時〜16時、外出。

鎮痛剤が効いていた。初めての外出許可。10ヶ月ぶりのお外、喜んでくれて良かった。〇〇先生(上級医)には服を取りに帰りたいからと言ったらしいが、それはただの口実で、ただ外食したかったみたい。車の助手席まで連れて行ったけれど、車に乗るのは無理そう。無理して乗れたとしても出先で乗り降りするのは危険過ぎる。あまり寒くない日にまた何処かに連れ出してあげよう。病院から徒歩で行けるところは沢山ある。車いすを押して建築予定地にも歩いて行ってきた。母が思っていた以上に近くて良い所だと思ったみたい。良かった。

 

今日で入院10ヶ月。

 

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カフェで嬉しそうに話す母

(2020年11月20日14時41分撮影)

 

 
 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤