ステロイドと神経障害性疼痛 の続きです。

 

医療事故から約3ヶ月、母の後遺障害は快方に向かうどころか日に日に悪化しているように感じました。特に下肢の痛みは酷くなる一方で、2020年4月下旬の夕方、痛みに耐えかねた母が初めて「もう耐えられへん。〇〇先生(上級医)を呼んで!」と叫ぶので、母の様子を説明した上で看護師さんに医師と連絡を取ってほしいとお願いしました。しかし、「時間外です。〇〇先生(上級医)は不在です」と言われ、「それなら、〇〇先生(過失医)をお願いします」と申し上げたところ、確認することなく「時間外です」と言われました。

※後にカルテが開示された際、この日のカルテを真っ先に確認したところ、私が話してもいないことが多く記載されており、会話の内容も全く違うものになっていて驚きました。

 

文字だけでは伝わり難いかもしれませんが、この時の母は本当に苦しそうで、そんな母を目の当たりにした私自身も本当に辛く、必死で看護師さんに医師と連絡を取ってほしいと訴えました。しかし、「時間外です」の一点張りで、何を言っても無駄なことがわかったので病室へ戻り、暫くは痛みに耐え苦しむ母を見守ることしかできず、母に手術を勧めてしまったことをひたすら後悔しました。

※カルテには「患者の部屋には入らずに帰られた」と虚偽記載されていました。

 

医療事故発生直後より「不誠実な対応さえ取られない限り損害賠償請求はしません。兎に角、母に寄り添って誠実に治療してください」とお伝えしてきましたが、〇〇医師(過失医)の母に対する不誠実な態度や、この日の看護師さんの冷たく無情な態度で初めて損害賠償請求というものを意識しました。

 

一週間で退院できるという約束で手術を受け、医療過誤に遭い、重度の後遺障害を負わされた上、何故ここまで冷遇されないといけないのか、強い憤りを覚えました。

 

以下は、この日より数日前の日記です。

 

(2020年4月20日の日記より)

手術前、確かに母は自分の足で歩き、導尿やおむつをせずに排泄が出来ていた。母に元気になって帰ってきてほしいと一番に願っていたのは私自身だということを忘れてほしくない。

 

(2020年4月22日の日記より)

17時過ぎ、病院へ 〇〇先生(上級医)と面談

 

19時過ぎ、病室へ

病室へ入ると母は激痛に苦しんでいた。両足の膝から下の痛みがなかなか治まらず、暫くマッサージを続けたけれど治まらず、〇〇さん(看護師)に様子を見ていただき、男性の看護師さんに痛み止めの注射をしていただいた。暫くすると少しましになった。20時、病院を出る。

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

にほんブログ村 病気ブログ 医療事故・医療訴訟へ