医療大麻解放戦線 -58ページ目

痛み。薬剤と肉体の状態のバランス。若しくは医療大麻で普通の生活。


かけっぱなしのラジオから「Fly me to the moon」が流れている。昔から好きな曲だ。JazzかChill Out、それかMinimal Technoがここ何年か定番になっているのだけれど、時々昔を思い出す曲がかかって感傷というかなんとも言えない気分になる。基本的にテレビは見ないけど、音は必須。ニュースはネットがあれば入ってくるからね。

今日は所謂クスリの話。
院内と院外で処方される薬にも若干の違いがあって、昨晩は久しぶりにニメタゼパムを経口摂取したのだけど、がっつり効き過ぎて今日は丸一日機能出来なかった。前はステロイド(覚醒系の精神作用がある)も内服してたからバランス的にちょうどよかったのかもね。ま、今後の耐性次第でどこで安定するかは未だ分かりませんが。
今使っている痛み止めのボルタレンは潰瘍の原因ともなるので使える量に限りがあるんだけど、徐々に耐性がついているようで次第に効きが悪くなっている。数時間毎にしか使えないから昼間の間隔を徐々に縮めて夜は強制睡眠で乗り切る感じなんだけど、基本的にボルタレンが効いてても痛みは消える訳じゃない。アメリカのようにナルコ(半分麻薬成分の痛み止め)でもあればもうちょっとマシなんだろうけど日本(特に僕の通っている病院がそうなのかもしれないけど)ってそういうのは処方しない方針で、昔のカルテに記載されていた自分の発言を思い出す。


去年の11月の時点で合法的に大麻が十分に使用出来て「基本的に健常者」として生活していたカリフォルニアを出るという決断のリスクっていうのはそもそも承知の上でやっている事なんだけど、やっぱり四六時中痛いのは相変わらず疲れるよね。

「痛みと共に生きる」

って本当に本出したら買いますか?
やらないけど。苦笑。
5年間というひと区切りの期間、大麻さえあれば製薬会社の商品も手術も食事制限も必要無い事を身を以て体験しているわけだからね。
今敢えて言うなら「他人の利益の為の痛みと共に生きる」っていう方が正しかった訳だ。
しかしながらこの安全圏を出て2ヶ月っていう活動限界は昔から言っていることで、今回まさにその通りになっている。成田空港に到着して10時間後には入院してたしね。悪い冗談のようだけどこれが現実。そのかわり直接国連との繋がりを作るという意味で目的はある程度達成してるけど正直、僕だって無駄に痛いのは嫌だし日本でちゃんと協力して動ける人間が存在すればこういう形でやる必要はなかったのだと思う。ま、それでも世の中に対して何もすることが出来ない罪のない次世代の子供たちがこんな思いをすることがない様に。と考えるなら誰かがやらねばならないからね。

「まずは自分の健康・安全が一番でしょ。」っていうのはもう聞き飽きた。だったら最初から表には出ないっつーの。

そろそろいい加減目覚めないですか?