医療大麻解放戦線 -149ページ目

32.01

書こう書こうと思って、なかなかタイミングがないままとうとうもう25日。
ま、今日で32年になる訳ですね。
実際は日本で生まれている訳だから既に日本時間では通り過ぎてるんだけど、カリフォルニアは今日が25日。
何とも言えん。

ま、折角なのでJustinTVでダダ漏れしながらこれを書いているんですが、なんなら残りの6月一杯6日間(カリフォルニア基準で)このまま生中継しながら、こういう場合は究極的にどうするべきなのかの"超現実ケーススタディ"としてみてもいいかなとも思っています。

で、書こうと思っていた事をここに記しつつ、医療大麻ドットオルグのチャットはそのまま使えるので、なんかあるかたはこちらへどうぞ。

さて、ここから本題なんですが僕なりの「生きる」ということの意味あいから。
これが噛み合ない事には話になりません。

そもそも、僕自身にとっての「生きる」ということは、「今の混迷した社会とともに右往左往すること」と同義ではない。むしろ、そんなものに死ぬ迄付き合うのが「現代に生まれた人間として絶対的に不可避」ならば、正直、そんなことをいつまでも続けている意味が分からない(いや、分からないというと嘘になる。理屈としてはよく分かる。自殺する家畜は居ない。でも、僕がある日突然目が覚めて養豚場の豚になっていたらさすがに即自殺しようとするだろうな。苦笑)けれどもし、この先にチャンスがあってこんなくだらない茶番に付き合わずに済む社会が実現出来る可能性があるなら、いや、一定以上あるならとしておこう。そうであればそれに全力を尽したいと思う。何故かなんて考えなくてもわかるよね?
もし、その可能性がほぼ無い事も全人類の合意だというなら致し方ない。

では、逆にもし多くの人類が偽善の陰に隠れた矛盾や利権に脅かされる事の無い平穏な毎日を送りたいのであれば、なぜ今の様な状況なのだろう?

次へ続く。