現代社会における自由の概念とその代償。 | 医療大麻解放戦線

現代社会における自由の概念とその代償。



前回のポストにあったコメントに返信したのだけどいつも思うのが「応援しています。」と言われて何を思えばいいのか?この人達にとって、「社会の問題というのは誰かが勝手に解決してくれるべきもの」で「自分はいち消費者・視聴者に過ぎないのだから、自発的な行動など期待はしてくれるな」というのが真理なのだろうか?
例えば、今これを見ている人たちにとって、僕がやっていることも読み物の一つにしか過ぎないのであれば逆に「同じ国民としての立場から一緒に行動する事を前提に考える」のとはコンセプトが違いすぎると思うんだよね。

みんな「健全な民主主義社会の実現」というかフラットソサエティ志向を求めているものかとも思ってもみたい気持ちはあるんですが(ちゃんと運営実施出来れば理屈の上では本当は一番効率がいいんですけどね)、現実は決してそんなことはなくて。結論として「自分が多少気分が良くて死なないなら、あとは如何でも構わない的な一般のお客さん主義」という基本原理が鍵のなのだろうなと思う今日この頃です。言い換えるならば、『お客様』であり『視聴者の私たち』という立ち位置が安心のデフォルト設定。
それが現代人の理想像でありロールモデルとなっているのであればその状況に応じた設定で考えるべきなのか?寧ろ、そこにアジャストしてまでやる意味が本当にあるのか。ま、折角年末なので新年に向けてもうちょっと考えてみたいと思います。

p.s. 既に"大麻の十分な使用"を中断して約2ヶ月が経過したのですが、腰のあたりに手術痕や瘻孔があるのでもうまっすぐ座るのもキツくなってきました。#医療大麻さえあれば...