お釈迦様が下してくれた蜘蛛の糸に縋って、上っていったカンダタですが、その糸はなぜ切れてしまったのでしょうか?

糸は、切れてしまうかもしれない」とカンダタが恐れたことがすべてだと思います。

1.恐れて思い描いたことが現実となってしまったのです。人が思い描いたことをが     現実になるということだと思います。

 

2.もしカンダタが【糸は切れない】と信じていたなら、「下りろ!」と叫ぶ必要はなかったはずです。

切れるはずは、なかったんです!そう思いませんか?カンダタみたいな大の男がぶら下がっても、糸はきれなかったんですよ。何百人何千人がぶら下がっても、切れるはずはなかったんです。だってお釈迦様が下ろしてくれた糸ですよ。カンダタは、人間の浅はかな知恵で、糸が切れると思ってしまったんです。お釈迦様を信じることができなかったんです。

私たちも、いざという時、やはりカンダタと同じように、自分の知恵で宇宙の愛を疑ってしまうかもしれません。

 

3.カンダタは「下りろ」と自分に言ってしまったので。なぜなら他人と自分はつながっているからです。シャンペンタワーの話と同じです。

 

殺人や放火、盗みなど数々の悪いことをした人間でも、たった1つの善行のために、救いの手を差し伸べたお釈迦様(宇宙)の慈悲に感動です。

宇宙は罰を与えるのではなく、考えるために色々な問題を出すのだそうです。

もし糸が切れなかったら、たった1人の人間のたった1つの善行が多くの人々を救ったんです。

観音経にも同じようなことが書かれています。詳細は忘れましたが、船が嵐に出くわした時、乗っている船員、船客のたった1人が、観音様を信じて祈ることによって、嵐が鎮まり、その船団全体が無事だったという話です。

なお蜘蛛の糸と同じような話は、日本の民話にもあり、また外国の話にもあるようです。

山形県、福島県、愛媛県の『地獄のニンジン』

『ペテロ聖者の母親の話』『シエナのカタリナの母親の話』