久々の完徹です。

 

歯医者もいろいろと忙しい季節です。

 

昨日は大学の同窓会の全国支部長会という集まりでした。入蔵は副支部長なので、支部長の代わりに出席しなければなりませんでした。

 

これから、会期末を迎える会が多いので、申告書の作成に十分な時間が取れなくなりそうです。

 

そこで、申告書類を仕上げてしまおうと思ったのです。

 

入蔵は、毎年、「自分より、集税吏の人のほうが収入があるんだなあ」ということを確認しに、税務署に行くのです。自分のせいなので、仕方ないです。

 

でも、「書類作るのに、こんなに、細かいことまで言われるのに、最後はむちゃくちゃな使い方されちゃうんだもんなあ」と思わなくもないです。

 

先ほど配布された、年金に関する厚労省のパンフレットを読んでも、年金は今後、下がるのか、変わらない水準で行くのか(上がるわけがないのはわかります)、全くわかりません。頭のいい人が税金で作ったパンフレットが、意味不明って? 入蔵が頭が悪いから、わからないのでしょうか? 

 

予算委員会のテレビ中継を見ても、予算の話をほとんどしていない感じがするのも、入蔵に理解力がないせいでしょうか? 結局、いいのか、悪いのかわからないうちに、予算が決まってしまうような気がします。

 

一律、最高6万円給付してもらうと、貧困状態から、抜けられるのでしょうか? 入蔵の家は古くて、「もうほとんど外」というくらい寒いのですが、火事が怖いので、電気で暖房していたら、一月の電気料が3万円を超えてしまいました。

 

この電気料にも、知らない間に、いろいろなお金が、加算されているようですね。

 

国にいくら借金があっても、外国からお金を借りているわけでないから大丈夫だなんて、お金持ちの親御さんから、いくらでも、お金借りられるような育ち方をしていない入蔵には理解できないです。

 

つい、皆さんのご気分を害するようなことを書いてしまいました。こういうこと書くと、各方面から、叱られたり、いじめられたりするのでしょうか? 少し心配です。あくまでも、入蔵の印象を述べたまでです。何卒、ご寛恕ください。

 

で、話題を変えましょう。

 

入蔵が、日曜日に、ビデオにとっておいた、俳句、短歌の番組を見ているのはもう書きました。

 

講師の先生には訛りのある方がいらして、投稿された俳句を詠まれるときにも、当然なまっているのですが、あれは作句に影響はないのでしょうか? というようなことを考えながら、番組を見ました。

 

芭蕉が、旅の途中で催した句会で、参加者はどのように、句を読んだのだろう(「詠む」でなく「読む」という意味)と、いろいろと想像しています。

もっとも、時代的な違いも大きいかもしれません。

音韻、アクセントが時代とともに大きく変化してきたのは、皆さんご存知の通りです。

 

短歌では、確実に発音が作品に影響を与えると思います。五行歌ではとても大きな要素になります。

万葉や古今の歌人が、どのように和歌を読んでいたのか、大変興味深いです。

 

音韻、アクセントの研究者の方も、もちろんいらして、優れた研究書も出ているようです。図書館で借りられるといいのですが。入蔵の地元の図書館には、少ししかありませんでした。

 

最近、ラジオで山浦玄嗣さんが、古代ギリシア語から直接ご自分がお住いの岩手県気仙(けせん)地方のことばで訳されたケセン語訳聖書を朗読する放送を聞きました。

 

発音された言葉と内容が溶け合うような心地よさがありました。

 

よく詩人は自作を朗読します。

 

作者の朗読を聞くと、詩人がその詩を書いた時の意図がよくわかるのですが、詩は書かれ、読者の手に渡った時にもう、半分は(根拠ないけれど)、読者のものなのです。いろいろな街に住む、たくさんの読者が、様々なアクセントで、詩を読むのです。

 

もしかしたら、よくある試みなのかもしれませんが、音楽の世界でよくあるように、同じ詩をたくさんの人が読みあう企画があれば、入蔵も是非参加したいです。

 

入蔵はこれから、五行歌を書きます。

 

まだ締め切りには時間があるので、午後時間を作って、どこか美術館に行こうと思います。

 

東京、というか、入蔵の家の付近は、青空が広がり、洗濯日和です。

 

そうだ、洗濯しなくちゃ。

 

皆さんもよい日曜をお過ごしください。

 

では、また(^^)/