昨日のブログを読むと、入蔵ってなんだか読者を全く無視して五行歌を書いているように感じますね。
さすがにそういうことは無いです。
一応、入蔵が読者に訴えたいことを五行歌にして表現しているので、入蔵の気持ちをただ書き連ねて、発表しているわけではありません。
寂しい時
一人ぼっちの時
そんな時に
思い出してもらえる歌を
つくりたい (五行歌集「瀲灧」 唐鎌史行著 彩雲出版 2015年 より)
なんて思っているんです。
「こんな五行歌作ってないで、そういう歌を作れ!」ですよね。
で、入蔵は五行歌を作る時、なるべくわかりやすく書くことを目指しています。
迷惑かける?
あなたが生きている
ただ
それだけで
いいんです (五行歌集「瀲灧」 唐鎌史行著 彩雲出版 2015年 より)
こんなこと誰でも思ってますよね。「こんなのを五行歌だなんていって、偉そうに!」だと思います。でも、入蔵は陳腐でもなんでも、読者に言いたい。だって、入蔵に「迷惑かけてごめんね」といった病人がいるから。そうじゃないんだって言いたい。「もう、君が生きていてくれるだけで、僕は幸せなんだって」、「君の世話をしている時僕は本当に幸せなんだよって」
今、あなたの世話をしているのは入蔵じゃないかもしれないけど、きっと、その人もこう思っているんだよって、その人のかわりに言ってあげたいのです。これを人は老婆心というのかもしれませんが。
さっき入蔵は陳腐と書きました。たぶん、俳句や短歌の世界では、陳腐な歌は評価されないのではないでしょうか? 使い古された表現を使ったら、添削されてしまうのではないでしょうか? 知りもしないで、入蔵は失礼なことを書きました。ご寛恕ください。
考えてみれば、人間は、受精の時から、いわば競争をしているわけです。
競争することは決して悪いことでは無いと入蔵も思います。むしろ、進歩を促すという意味で人間社会にとって不可欠かもしれません。
でも、入蔵は五行歌と、落語の世界にはそれを持ち込みたくないと思っています。これは、入蔵の個人的な考えであって、正しいとか、正しくないとかという問題ではありません。その点はご理解ください。
入蔵はわかりやすい歌を書くように心がけていますが、たまに詩人の真似をしてみたくなることがあります。
消えては生まれ
生まれては消える
人の世の不可思議
星々をめぐる霊魂
聞き手のないセレナーデ (五行歌集「瀲灧」 唐鎌史行著 彩雲出版 2015年 より)
この歌は、入蔵が高校生の頃に書いた長い詩の一節を五行歌にしたものです。詩を書く体力が落ちてきて入蔵はこの頃長い詩を書きません。
でも、このブログを書いてきて、少し、文字を書く体力が回復してきたような気もします。小説書く宣言もしちゃったし、長い詩も久しぶりに書いてみようかな。
今日は、義母が夕飯を作ってくれたので、少し時間に余裕がありました。眠くなる21時前に書いているので、いつもより少しは文意が通っているでしょうか?
本当は、今日は入蔵の落語遍歴の始まりについて書こうかなと思っていたのですが、書き出しに枕のつもりで書いた話から、思いもよらぬ方向に行ってしまいました。
明日は、それを書こうかな。でも、五、六行で終わってしまいそうです。まあ、また明日考えましょう。それに明日は今日より忙しそうだし。ではまた(^^)/