先日、ちょっと父のことを書きました。
きょう母が見ているドラマで、介護をされているお父さんが介護に疲れた様子の娘とときを過ごしていて、ゲームでちょっと無理を通して「へへへ」と笑っているシーンを見ました。
それに娘はますます疲労が出たようにわたしには見えたのですが、反面どうがんばったとしても生活の自立ができなくなった父として娘の前で笑う以外のなにができるだろうと感じました。
20年近く前、脳梗塞を起こした父は、その後も脳梗塞を繰り返し、いまは意思疎通も難しい状態になっています。
だけど、すこしの言葉が出て、車椅子で生活していたときは、よく笑っていました。
すめさんの描かれた布袋さんにそっくりな笑顔で笑っていました。
「そっくりなんです!」とすめさんに見ていただいた写真はわたしが子どもの頃の元気な父の笑顔でしたが、脳梗塞で身体に麻痺が出ても笑顔は変わりませんでした。
にこにこして、甘いものが好きになって、食べもののことではよくわがままをして、でもそのほかのことでは「できないんだよ」と理由を話すと「うん」と頷いてくれました。
話せないけど、頭はしっかりしていたのです。
昔なじみのかたが亡くなって、「お香典どうする?」と母が尋ねると指で「これだけ出せ」と答えていました。
わたしが休職して帰ってきて、つらさを言葉でぶつけると、出てこない言葉でそれでも伝えようと必死になってくれていました。
父は、母や子どもやみんなに優しい父でした。
ちっちゃな商店の社長をしていて、売り上げがよくなくても従業員さんには「どうしてもしてやりたいんだ」と毎年昇給していました。
そんな父が、歩けなくなって、話せなくなって、生きるのにもひとの世話になって、してやりたかったことができなくなって、つらくなかったはずがなかったのに。
それでも、笑っていてくれたんです。
それがわたしたち家族への愛以外になんだったというのでしょうか。
そういうことに、いま気づいて泣けてきています。