これちょっと「バ○」は言い過ぎたな~と思っている。

 

価値観の違いを尊重することは必要だと思っています。

 

価値観、も視点を変えると一変するな~と思った出来事をひとつ。

 

わたしが学生のころに出版界で白洲正子ブームがあったのかな?

 

ずいぶん本やムックが出て、何冊も読んでいたんですよ。

 

そのなかで白洲正子が愛用してたアクセサリーが紹介されていました。

 

古墳から発掘されたガラスをネックレスや指輪に仕立てたもので、歴史の浪漫も感じるし見た目にかわいい!!

 

素敵だな~、と記憶に残っていました。

 

後日、遺跡の発掘調査をされている研究者のかたとお話しする機会がありまして。

 

そのなかで発掘したものたちの管理や所有がたいへん厳格に定められていてという話になりまして。

 

わたしはついつい「白洲正子は古墳から発掘されたガラスをアクセサリーにしてるとあったが、そういうのはどうやってるのだ?」と尋ねてしまいました。

 

ひじょうに気まずい空気が流れまして。

 

「……過去に盗掘されたり横流しされたりした品が、骨董として取引されているという話は聞いたことがあります」

 

という回答。

 

ワオ、盗掘!!

 

なんだか博物館からダイヤを盗んで、「このダイヤもあたしを飾れて喜んでるわ」と微笑む怪盗みたいな話になってきましたね!!

 

いやでも学術資料として価値のあるであろう品とはいえ、博物館や研究所に保管されているのと個人に愛でられるのとどっちがいいかというのは価値基準をどこに置くかによるっていうか。

 

現実的に国立博物館、国立大学が貴重な資料を管理維持する予算を国からもらえないと個人の寄付を募っている昨今、余裕のある個人が大切に愛でていたほうが後世に残る可能性高くなったりして??

 

そんなことを考えていると、貧困ではないお金のつかいかたとはなにか??

 

ますますわからなくなっていくのであります。