久しぶりの読書です。

 

 

 

Twitterでプロモーションの感想漫画が流れてきて、気になってた小説です。

 

作者の島本理生先生、かなり昔、学生の頃に「ナラタージュ」を読みました。

 

なんですがあまりピンとこなかったというか。

 

で、「ナラタージュ」を本棚に置いていたら、当時の友だちが「このひとのエッセイ、読んでるファッション誌に載ってる」と言い出したことがあります。

 

「なんか『自分の目の形が好きじゃない、コンプレックスだ』って書いてて、オチがいい感じの男の子に『かわいい』って褒められてまあこの目でもいいかなってなってて、男に言われたぐらいで手のひら返しすんのかよって思った」

 

というようなことを語っていた記憶があります。

 

その当時の友だち、すっごい美少女で、道を歩けばナンパやスカウトが群がり、店に入れば勝手に「サービスです」とドリンクやら一品追加やらが当たり前の子で、

 

「正直、彼氏はちょっとほほえめばできるけど女友だちはそうじゃないから、どっちかっていうと男より女友だちのほうが大事」

 

と豪語していたので、エッセイがその子の感覚に合わなかったんでしょうね。

 

さて、「夜はおしまい」の話です。

 

 

女という性に傷ついている女たちと、信仰の話のように思いました。

 

性の話なので傷つけているのは男なのですが、そう単純でもないような。

 

なんというか、身のうちにある加害欲求、暴力性みたいなものを実際に誰かにぶつけるというのに、男性から女性に向かって行うのは身体的にやりやすいんだと思います。

 

だから男性は女性に恐怖を与えやすいし、実際に加害者になることも多い。

 

なんですけど、女性にも加害欲求というのはあって、ただそれを他者に向けることが身体的に難しいので自分自身や、自分自身に近しいもの(年少の家族などですかね)を傷つけさせることで発散させているところがあるのではないのだろうかと思ったり。

 

こういうことを言うと、暴力を振るう側に正当性を与えるみたいで嫌なんですけど。

 

なんていうか、傷ついた人間がより傷を深める方向に進んでいってしまう。なんでなんだろう。という気持ちです。

 

でもそういうことってしがちですよね。

 

「すっごいむかつくこと言われた!!」って怒るのは、相手の言葉になんらかの力があるとしているからムカつくのであって、

 

「な~んか言われたけど、意味不明だしどうでもいいわ~」なら、なんの痛痒もないんですよ。

 

いやしかし、直木賞を取るような作家先生の本は読みやすいですね……。

 

前にやはり直木賞を取った作家の先生の講演に行ったことがあるんですが、

 

「自分のファンじゃないひとが本一冊最後まで読み切ってしまうぐらい文章がうまいというのは、プロとして当然なんです。表現とはその先にあるものだから」

 

というようなことを話されていて、かっこいい!!となりました。