心が袋小路に居る時には・・・ | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

貴女の写真が心を掴む


誰しもが、力の限りに生きている。

問題を抱えても、立ち止まっているわけにはいかない。

誰しもが、生きている限り一歩一歩を歩み続ける。





数限りない「それぞれ」の性格、環境、全ては千差万別。

生涯を、大きく見たら、幸福に満ちて、周囲をも幸せにする一生というのもあるのかも。

それは努力して手に入れるもの、と、光に向かって生きることも一つの道。

そんな光を纏う人は、存在自体が素晴らしい。 





恵まれた環境に生まれた筈なのに、どこかから、幸せに向かい始める度に、

足をすくわれてしまうような、それこそ、思いがけない不幸が連鎖する人も。

今度は、と思う度に、積み上げたものが崩れていく。






世の中、かなりの割合の人が、「似たような問題」や「苦労」を抱えつつ、

それぞれがその問題をひとつひとつ乗り越えて生きている。

その辛さを、重さや大きさで測り、比べて自分を褒めることがあなたには可能なの? 

自分の努力を自分に褒めてあげることで力になるならそれもエネルギーなの?

辛い問題を乗り越えることで、あなたが得たのは、そんな方法だったの?




でも、でも、

「自分は」頑張ったのよ、「自分は」すごかったと思う。「問題」は「誰でも」あるのよ。

そういう言葉の棘で、人を刺すのはやめて。

「問題」は「誰でも」あると知っているなら、そんな言葉を使わないで。

「誰でも」あるのだから、私にとて「問題」はあるのだから。

自分も辛かったのなら、自分の問題だけが特殊なのだという言い方はやめて。




朝が来なければいいと思って、本当に、朝を迎えなかった人もいるのだから。

自分の問題以外は「誰でも」持っている「問題」だと、立派に言い放つのはやめて。

電話線の向こうで誇らしげにあなたが放った言葉は、

ありふれた言葉だったけれど、私の心の穴の中で木霊して、美しい想い出も消えてしまった。 





「余裕が出来たら会いたいね、声が聞けて良かった」

私が言った。知らない人が代わりに言ってくれているような声で。

あなたが、ずっと自分を褒め続けた時、既に、心は閉じてしまっていたから。

あなたには、余裕がある事を、あなたも私も知っていて、会話を終わらせるための言葉。





痛みがわかったのではないの?

自分の素晴らしさを肯定する為には、その素晴らしさに順位をつけなくてはいけないの?

なら、私は、最下位に位置付けてもらって構わない。

忘れ去ってほしいから。 




貴女の心の傷が、哀しい深みが、私を惹きつけるのかもしれない。

Romy Schneider(ロミー・シュナイダー)様。

1938年9月23日~1982年5月29日、享年43歳。検死発表、心不全による自然死。



にほんブログ村