へぇ~!有名やんか!!
『出石』こんな小さな町にも深い歴史があったんです。但馬地方の中心として栄えた『城下町・出石』は室町時代の『三代将軍足利義満』(一休さんでお馴染みの)に仕えていた山名時義が幕府より但馬、備後、隠岐、伯耆の守護を命ぜられ、町の北東部にある「此隅山」に山城を築いたことに始まります。 その後、山名氏は幕府内で勢力を伸ばし、全国六十六か国の内の十一か国(全国の六分の一)を一族の所領にしました。 しかし、応仁元年(1467)当時の『城主・山名宗全』は足利将軍家の跡目争いから幕府の大立者・細川勝元と対立し、この二大実力者の反目は戦いを引き起こすこととなった(応仁の乱)。 東軍の細川勝元、西の山名宗全が京都を舞台に日本を二分にした戦いは、十一年にも及び、文明5年(1473)に宗全は病死、家督を継いだ政豊は戦いの決着が着かないまま、一族と共に出石へ帰ってきました。 (1477・応仁の乱終結。 その後、室町幕府の基盤は揺らぎ、下克上の戦国時代へ移り山名氏は此隅山を『織田信長』に攻められ、有子山山頂(現在出石町にある隅櫓の山頂)に城を移しました。 この城も『羽柴秀吉』(豊臣秀吉)の攻撃により落城。 そして天正八年(1580)二百年に及ぶ山名氏は終わりを告げてました。 その後、羽柴、前野氏とめまぐるしく(@_@;)領主が変わり、文禄四年(1595)に龍野から小出吉政が移ってきました。 小出氏は現在も残る城下町建設を手掛けたり、町の出入り口に要塞をかねた寺院を配置(12/23参照)などする。