羊水検査の次の日の朝、子供たちを幼稚園保育園に送って家に着いた瞬間なぜか涙が溢れ出てきた。



気付いたら声も抑えれず、子供のように泣いた。



どうしてこの子なの?



単心室て何?



なんでお部屋ができなかったの?



生きれないの?



胎動もあるのに。



こんなに元気なのに。



染色体異常でも染色体異常じゃなくてもどちらにしろ短命なんだと現実を突きつけられ昨日のモヤモヤが爆発した。



また振り出しに戻った気分。



旦那にLINEをした。



私『やっぱり単心室はどっちにしろ短命なんだね。手術しても障害が残るかもしれない。普通に生活するのは難しいかもしれない。こんなに元気なのに。涙が止まらん。』


旦那『俺も調べてそれは思ってた。たぶん○○(私)のお腹の中が居心地いいから元気でいれるんやろな』


そう言われてまた涙が止まらなくなった。


もし、染色体異常じゃなかったら…

小さい体に何度もメス入れて手術して、口唇口蓋裂のように良くなる手術ならいいけど心臓の手術は良くなるかなんてわからない。
途中でなにかあって障害が残ったら結局将来上の子たちに面倒見てもらわなければならないのか?
きっとこの子の事ばかりで上の子たちの事も見れず寂しい思いをさせるだろうな。

まだ何もわからない事にひたすら色んな事を考えて最終的にまた諦めるしかないのかもしれないなと思った。



染色体異常でも、そうでなくても延命をすることがこの子の為になるのかわからなかった。

きっと助かる心疾患は沢山ある。

でもきっとこの子の心臓は手術をしてもどうなるかわからない。

羊水検査の結果までの10日間ほど色々考えて、色々思った。


染色体異常だったら諦める。と思っていた最初の気持ちもだんだん変わっていった。


きっと諦めたらこの子が無かったことになりそうで怖かった。
私のお腹で今生きてるのに無かったことになんてできない。
水子のお墓参りでさえ自分から行こうって言わない旦那がきっとこの子がお空に行ってもお墓に会いに行こうと思わないんじゃないのか。いつか忘れてしまうんじゃないか。2人の子供なのに。
無かったことにしたくない。

それに、会いたい。生きて会いたい。
おっぱいが飲めなくてもママって言われなくても最後までお腹で育てて産んであげたい。
延命せずこの子が生きれるこの子の生きる命を近くで見守りたい。

そう思うようになった。


旦那に産みたい。延命をせずこの子の生きる命を見守って看取りたい。と伝えた。

でも旦那は1ヶ月生きて、半年生きて…やっぱり欲が出るし情も出るし、やっぱり手術してもう少し生きれるならって思うだろうし、もし頑張って頑張ってダメだった時言葉にできないくらいつらい。
亡くなった後の喪失感はえぐいだろうし、亡くなった後に妊娠してちゃんと産まれてもやっぱり亡くなった子の事ばかり考えてる人がいてて…


旦那の気持ちも痛いほどわかった。
私にもそんな風にはなってほしくないんだろうなと。


検査の結果が出るまで上がったり下がったりの毎日だった。。