子供の前では泣かないようにした。


ベビードックの次の日、朝起きて横で寝ている子供達を見て涙が溢れてきた。
寝ている息子をギューとしながら声を殺して泣いた。


すると誰かが手を繋いできた。

最初、娘かと思ったら旦那の手だった。


ギュッと手を握り返して泣くだけ泣いた。


子供達が起きる頃には平常心で朝を迎えれた。




旦那は口唇口蓋裂がやっぱりショックやったみたいでもし生まれてきてもすぐ受け入れれるかわからんと。息子の時でさえ生まれてすぐは可愛いと思えなかったのにと…。

私は染色体異常だったらこんなに先天性疾患があるなら納得がいくけどもし染色体異常じゃなかったら、こんな小さい身体にすぐメスを入れて手術…それを何回もしないといけない。そんなの耐えれない。入退院繰り返してその間、上の子供たちにも我慢を沢山させなければならない。元気に普通に過ごせる保証もない。物心がついた時、子供は色々言われて傷つく。それに子供を守れるのか。自分も耐えれるのか。
いつか『どうして私(僕)を生んだの?』て言われるんじゃないか。そんなの耐えれない。

自信がなかった。


絶望だ。。




親に言わなければならないなと思って、次の日家に母に来てもらった。


会った瞬間涙が溢れた。

母は旦那となんかあったんだと思っていた。

泣きながらゆっくり説明した。

母はいつも自分の話をしたがる。私が話をしてても途中で自分の話に切り替えて話になんないからいつも途中で聞き手に回る。だから母に悩み相談はしない。でも今回だけは途中で話を持ってかれそうになったけど『お願いだから今回は全部話してから話して』と伝えた。
話を終えて母が言った一言目が『何で作らないようにしなかったの…できてしまったのはもう仕方ないけど、もう次はちゃんと作らないようにしないとね』だった。

その言葉に失望した。

何言ってんだこの人と思った。

私『私たち、3人目迎入れてもいいと思ってたから。』

母『そうやったんや。お兄ちゃんとこも○○ちゃん(兄嫁)が絶対3人欲しいて言って作ったけど大変やん。お母さんはお兄ちゃんの後になかなか赤ちゃんできなくて色々頑張って○○(私)を授かったし、あの時はそんなエコーとかもなかったからほんま生まれてくるまで心配やった。口が切れて生まれてくる子もいるのはその当時から居てたけどやっぱり傷もわかるし、子供って素直やから何でか聞くやろし、面白おかしく言ったりするし、いじめにあったりするのが現実やで。○○ちゃん(娘)や○○(息子)やってそれでいじめられるかもしれん。夫婦仲だって悪くなって離婚する人もいるやん。もしお母さんやったら…自信ないわ。』

母らしい意見だった。
マイナスなことしか言わない。
悪気はないけど平気で嫌なこと言ったり言い方だったり。
それでも母は私を思って言ってくれたと思うから話は聞いた。

でもちゃんと今の医療技術は昔とは違うこと。子供は素直だからこそちゃんと説明すればわかってくれること。まだ染色体異常かそうじゃないかは羊水検査をしないとわからないということ。ちゃんと説明したけどちゃんと理解できてるかわからない。(母はこう思ったらこう、こう言われたらこうってタイプだから)


誰にもおめでとうって言ってもらえない妊娠なんだなと思った。


母『2人の子供のことだからお母さんがどうこういうことじゃないし○○君(旦那)と話し合って決めなさい。お母さん○○(私)に何て言ってあげたらいいかわからない…。ごめんね…。』

私『私はこの事を知って欲しかっただけだから何か言ってもらいたかったわけでもないから大丈夫だよ。私も今は自信がない…。』


何でそんなこと言うの?て事を言っちゃう母だけどいつも味方でいてくれたし、いつも心配してくれて、よく一緒に泣いてくれて、やっぱりいつまでも大好きなお母さん。
学生時代は反抗期がすごくて反撃しまくりだったけど大人になって母の愚痴を毎日聞いてあげる事(これ結構しんどい)で母のストレス発散なら何も言わずにうんうん聞いてあげようと常に聞き手でいる。



母に何度も『なんで○○(私)なの?』と言われたが私は今まで『なんで自分なの?』とは思わなかった。
むしろ『何でこの子なの?』と思っていた。

それは私も母親だからなんだなと思った。

母親は自分の子が心配。それが当たり前なんだと。

私はもうこの子のちゃんと母親なんだと実感した。



数日後会った時、母は痩せていた。


あれから心配で食べれないし、眠れないし…と言われた。



私は大丈夫だからちゃんと食べて。としか言えなかった。