こんにちは、96みきです。
私は15年前にコーチングの養成講座に通ってました。
私が自己探求の始まりに扉を叩いた場所です。
最終日のチェックアウト(最後の挨拶)の時に私は、
『弱いことを認めましょう。』とみんなの前で言った。
その講座の参加者は自分でビジネスをされている人も多くて、
私は最初腰が引けていたのだけれど、
対等に接するように頑張ったし、みんな普通の人だった、笑。
私がその人達に感じていたのは、
自分がしっかり舵を取っていかなければという責任感が先にあって、
自分の本当の姿を見たくないような、弱さを認めていないような感じがあった。
とにかく、講座では(講座以外でも)素の自分を出す場面が多くあって、
誰もが本心と向き合うことになる。とても深い学びだった。
それからもうだいぶ経つが、やっと、この『弱さ』の意味を知ったような気がする。
言葉を素直に受け取るとしたら、私はこう思っていた。
私は、淋しい、悲しい、辛い、助けてほしい、腹が立つ等の心の感情を表に出せる人が羨ましかった。
だから、それを言える人が、自分の弱さを認めている人だと思っていた。
でも、私にとっての弱さを認めるって少し違っていたみたいだ。
先日、派遣会社の営業と仕事のことで話していた時、
私はいつもの口調である業務について熱弁していた。
要は、なぜこの業務が苦手なのか、
他の会社と比較して、分析して、
〇〇だから、私は違和感があると。
不意にその会話をもう一人の私が頭の右側から俯瞰して聞いている感覚があった。
(これは初めての感覚だった)
もう一人の私は、またやってるわ。
これがあなたのいつも。
分析して、あたかも私は悪くない、環境のせいにもしようとしている。
理論武装して、正しいように見せようとして、
自分がわがままな人、嫌な人に思われないように、
自己防衛している姿がはっきり見えた。
その業務は一人でこなすもので、間違えたら大変なことになりそうだから怖い。
ただ責任を取りたくないという自分の弱さを隠すために、
私は無自覚に〇〇のせいに話を持っていき、理論武装していたのだ。
それこそ、自分の弱さを認めていなかったのだ。
昔、通っていた講座でセラピストの先生に
なんで人のせいや環境のせいにするの?なんで自分の足で立とうとしないの?
と言われたこともあった。
私は、私のどんな言葉からそんなことを言われたのが全くわからなかった。
急に言われたのでびっくりして、逆に言われた言葉が私の傷として残っていた。
当たり前のように話している言葉のクセは自分では気づかない。
私は本当に自己防衛を当たり前のようにしていたんだとやっと腑に落ちた。
自己防衛をしているということは、自分の本音(狡さや支配力等)を見たくないから、自分は間違ってはいないと目の前の人にアピールする。
あ〜私が弱さを認めてなかったんだ〜
気づいたら、もう要らないことがわかるから手放せる。(気づいてよかった)
そうなると、目の前の人達は神だよね。
何度も似たような人が現れては私にちょっかい出してきてたわ
今回の件は、ナデナデ効果(自分の身体を自分の手でナデナデする)で
自分を俯瞰する存在が出てきてくれたおかげ。
私自身が納得できたし、長年何してきたの?でもそれも自分を守るためだったもんね。ありがとうねー。でも私は弱さを認めて本音で生きるよ
備忘のために書いたけれど、
もし誰かの心に留まることがあれば嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました