訪問日 2016/01/10

 

新法隆寺駅と天理駅を結んでいた軌間762mmの非電化私鉄

平端駅~天理駅は改軌/電化され、近鉄天理線として現存

最晩年は近畿日本鉄道法隆寺線となり、近畿日本法隆寺(新法隆寺)駅~平端駅は1945年2月11日休止、1952年4月1日廃止

 

 

道の左沿いが法隆寺線跡

奥は近畿日本鉄道橿原線平端駅

あそこで両線は交差

後に開業した橿原線が法隆寺線をまたいでいた

 

法隆寺線は近鉄変電所の位置を走っていた

 

道路の左沿い、民家のならびが廃線跡

 

天理軽便鉄道はここを左右に走る

奥の古びたコンクリートは当時のもんか?

 

道路の右沿いが廃線跡

 

ここからは道路になる

 

平端駅方面を見る

住宅の位置が線路跡ということがおわかりだろう

 

道路が廃線跡

 

コンクリート遺構は額田部駅のものと言われているが確証はない

 

 

道路が廃線跡

 

法隆寺線と関係ある?

 

道路が廃線跡

 

廃線跡の道路はここでおしまい

 

マルチシート部分が廃線跡(たぶん)

 

奥の畑と向きが異なっていることに注目していただきたい

 

 

路盤跡(たぶん)

 

 

 

 

 

 

縁石で囲まれた細長い敷地

これが軽便鉄道跡

位置的にまちがいない

 

上写真の敷地には路盤らしき盛り土が接続している

 

中央の畑部分が廃線跡

 

 

 

 

 

ここにも他と区切られた細長い土地がある

 

位置的にはここが法隆寺線跡

断定はできんけど

 

 

この道がほぼ廃線跡のはず

 

ここが天理軽便鉄道跡のハイライト

木戸池を横断していた築堤がそのまま残っている

 

自然石を用いた土留

 

平端駅方面を見る

 

池の中にある橋梁跡

レンガ積み橋台が残る

 

 

 

 

 

221系電車の走っているとこは関西本線

 

木戸池の脇に説明版

 

新法隆寺駅方の築堤

 

 

 

 

 

 

 

 

富雄川に架かっていた橋の跡はない

 

富雄川右岸から続く築堤跡

関西本線を大和路快速が通過

 

 

 

 

 

一部舗装されている

 

 

 

 

 

橋梁跡

 

レンガ橋台

 

 

 

 

 

 

 

路盤跡は倉庫の手前で消滅

 

橋梁跡

ここにもレンガ橋台

乗っている橋は鉄道とは無関係

 

 

 

橋を渡った先が新法隆寺駅

右は関西本線法隆寺駅

 

法隆寺駅前交番付近が新法隆寺駅跡やと思う