Master-Dragonブログ

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音楽が趣味です。

かつて私は龍5150(マノウォーファン)と、

 

龍「アメリカって、メタルバンドの宝庫ですよね」

私「アメリカにメタルバンドなんて、Riotしかいないだろう!!」

 

という会話をしたことがあります。

それをモリモリさん(FIVE RINGSのDr. かつて龍とバンドをしていた)が今でも覚えていて、お酒を飲んだり、アメリカの話題になると必ず言ってきます。

 

そして2026年。

私の生きる方向性は、Riotで間違いないと確信するものであります!

 

 

まあ、Riotとは似ても似つかない曲を書いたりしましたけどね。昨日。

EIZO Japan x IRON ATTACK!の曲をね!

Riot聴きながら寝る!

今年はIRON ATTACK!20周年なんで、色々します。

 

まず、第1弾が

IRON ATTACK! vs EIZO Japan

ですよ。

坂本英三という聖域とは、混じってはいけなかったんですけどね。

もはやそんな事は言ってられないというか。

あと何年出来るかわからないのにね!

まあ、私は100歳までやるつもりなんで、まだ50年以上残ってるけどね。

 

で、さらに驚くべき企画も目白押し!

いつ発表するんだろう…

 

 

 

最近、GAMMARAYを聴いています。

え?いつもだって?

そうよ。22歳ぐらいからずっとよ。

で、私は”カイ・ハンセンのパクリ”とか言われることはむしろ誉れなので、芸名も「パク・ハンセン」に変えようかと思ったりしました。

メンバーに反対されましたけど。

じゃあ中華圏風に、「海 飯鮮」とかどうかね?いいと思うんだけどね。

 

 

昔の自分の曲を聴く機会がありまして、「我ながらよくこんなの思いつくな…」と、自分の才能に驚愕していまいました。

で、AIにそれを学習させて、「この人の新作を作って」と頼んだら、なんかまあアレな感じのが出来まして。

結論から言いましょう。

既に世の中にはAI音楽が溢れているけども、感動する事はないかな。

BGMとして活用は大いにできると思います。

でも結局、そこにドラマがあるかどうかなんだよ。感動するか否かは。

だって突き詰めて言えば、西洋音楽なんて12個の音階で全ては構成されているわけだからね。

1発のパンチでも、そこに感情とバックストーリーがあるから涙するわけで。

人間の脳内で上映される、感情というドラマを具現化したものが芸術なわけだから、それが空虚であれば感動する余地がないというか。

何度も言うけど、私自身はAIは肯定していますからね。

用途の問題を説明しています。

 

 

最近知った事でも書くか。

ドイツの有名フェスへの出演権を賭けたバンドバトルがあります。

勝つとそのフェスに出演できるんだけど、全経費は自腹なんだって。

  な  ん  の  た  め  の  …

っていう。

しかも、”若い前途洋々なバンドしか勝たなくなっている”システムらしくて。

つまり、自力でドイツでライブツアーができるようなバンドは、最初から選考で外れるらしいんですね。

例えば「優勝はIRON ATTACK!!ドイツでライブします!」って、何回目やねん?みたいな。

まあ芸能関係ではよくある、片ヤオ的な。

夢ないですねえ…

本当の夢を、如何なる大人の力も借りず、如何なる王朝にも屈せず成した人間からすると。

 

 

という徒然日記!

ライドザスカイ!!

自分でどう思おうと、間違いなく

私は死んでいる。

 

もう現役のファイターとは到底思えない。

心が死んでいる。

これでは闘いの運命を全うできない。

いつからこうなったのか…

 

宇宙の真理の中には、多少他人に迷惑をかけても、結実させねばならない価値観、芸術があるはずだ。

それを成さない事の方が罪だろう。

 

神様ごめんなさい。

少しだけ自分を解放します。

FIVE RINGSは、私の最後の夢なんです。

まあその為にね。

セットリストを考えてるんですよ。

 

で、色々IRON ATTACK!の曲を聴いてるんだけど、

まあ色々な事情で、公には出せないじゃないですか。東方アレンジ系は。

 

でもこんなの、所謂メタル関係者みたいな人たちが聴いたら、ぶっ飛ぶんじゃないか?

坂さんが最初にIRON ATTACK!に出会った時、

「地下に巨大なもう1つの世界を発見した」

と言っていたけど。

 

あれだね。日本の武道界が、タイでムアイタイに出会った時のようだね。

それまでは誰もタイの武術なんかよく知らなくて、「瘦せた男同士がペチペチやり合ってるやつだろ(笑)」 ぐらいの認識だったらしい。

で、地上最強と謳っていた極真空手がタイへ遠征して、軽く相手してやるかと思ったら、全く手も足も出なかった。

という事があって、何人かの賢い空手家はムアイタイを研究し、”キックボクシング”というムアイタイのパクリ格闘技を作った。

 

そして現状は…

日本でキックボクシングの最高峰と言われるような選手を、タイでは全く通用しなくなったタイ人選手が、全く練習もせずに圧倒してしまうという、ドラゴンボールのような世界。

 

というようなね。

専門誌の評論家の先生方とか、いつかIRON ATTACK!を聴く機会があったらいいね。

「あれだろ?なんかコミケとか出てるギターかぶれのやつだろ?(笑)」とか思ってるかどうかはわからんけど、ぐうの音も出なくなる事だけは間違いない。

 

 

神奈川県の某所へ行ってきました。

行ってきたというか、偶然。

 

まあいろんな偶然が重なって、私がバンドを始めた頃にお世話になっていたライブハウスへ行ってきたのです。

行かされたというか、魂が導かれたというか。

 

色々フラッシュバックしましたねえ、27年前の事とか。

いや、もっと前か。初めて出た時まで遡れば。

まあこのあたりは、思い出話も交えてFANBOXで書くとして…(なんやねん! ※外国語)

 

 

すごいのは、来週その当時のメンバーたちと会うというタイミングですよ。

 

まあ色々ありまして(個人情報も含むので、はぐらかして書いてます)、なんだか我々は持っているな、と。

強運というか。

なんでこんなタイミングで?!という感じの事が多いんですよね。

神に導かれた王国なんでしょう。

我々人類が憎むべきは、コロナウィルスを開発・拡散させ、世界中で550万人を死に至らしめた中国共産党です。

間接的な死や後遺症を含めれば、その数倍でしょう。

これは全人類への無差別攻撃であった事(ここが大躍進や文革との決定的な違い)から、その死者数以上の規模の大虐殺として、人類史上最大の人災であると思っています。

久々に道場へ顔を出しました。

怪我をして以来、1か月ぶりぐらい?

まだ練習は出来ませんが、ご迷惑をお掛けしたのでご挨拶に。

 

怪我をした当日のことなど話しました。

格闘技の先生には、

 

「いやーあの日、チノさんが(他の生徒さんを)バンバン極めていくから、皆、"うおー強えー"みたいな感じで… まさか大怪我してるなんて思わなかったですよ。ただ疲れて寝てるだけなのかと…」

 

と言われました。

それは嬉しいのですが、あの時、まさか内臓破裂して肋骨も骨折しているとはですよね。

で、

 

「もしあれが多人数相手でしたら、私は残った敵の仲間に攻撃され、死に至っていたでしょうね… 捨て身技(自分から倒れ込んで撃つ投げ)を使う時は、気を付けねばなりません」

 

と返したんですよ。

そしたら、皆さんポカンとした感じで、

 

「え?それって…ケンカってこと?」

「いやまあ、実戦という意味ですから…そうですね」

「いや…ケンカはしちゃだめですよ」

 

という会話をしました。

平和な考えの方々がいる道場で、温厚な人たちと一緒に練習出来てとても光栄なのですが、ここが格闘技の道場であり、武術の道場ではない事を再認した瞬間でもありました。

 

 

私が通っている接骨院の先生は、武術の師範でもあり、ご自分の流派を立ち上げた方なのですが、その先生と常々

 

「常さね、心を律する修練をしている我々が、その武術を使わざるを得ない状況に陥れてくるような相手が、正々堂々闘ってくるわけがない」

 

というような話をしているので、上記の道場での会話で、久々のスポーツ的な感覚を覚えました。

 

もちろん、格闘技にも武術としての機能は十分すぎるほどあり、武術も格闘技的なトレーニングを取り入れなければ強くはならないと思いますから、どちらが正しいという事ではありません。どちらも正しいのです。

29歳時のムエタイを最後に、近代的トレーニングはウェイトとシャドー、サンドバッグのみを続けながら、ずっと武術に傾倒していた自分には懐かしい感覚だったので、つい書いてしまいました。

 

まあとりあえず、下がマット(畳)かアスファルトかで闘い方は変わりますし、選択する技で命取りにもなるという事ですな。

1月21日に、格闘技の練習中、スパーリング中に事故を起こして入院してました。

まあ1週間ぐらいで退院したんですけどね。

なんだかんだで、今もチェストバンド付けて外出してます。

練習再開できるのは、4月からだそうです。

 

先日、DESTRUCTION観に行きました。

驚いたのは、関係者とか色々、私が入院してたこと知ってるんですね。

もう、所謂メタル界隈的な人たちとは交流もないんですけども。

 

 

で、3週間ほど経った今、ワインは「200mlを2日に1回」という限定付きで解禁されています。

人間の順応能力というのは恐ろしいもので、一度のサーブできっちり100ml注げるんですよ、今。

誤差は5ml以内。

 

 

FIVE RINGSの曲を書いたりしています。

実は1stって、約半分は(誰かが)”弾きながら歌う用”に作った曲でしたからね。

4人編成のHELLOWEENのようなバンド(Vo&Gt/ Gt/ Ba/ Dr)にするつもりでした。

2ndでまさに本領発揮!みたいな。

最近、編み出した技があります。

左インローからの金的蹴りです。

どうしても足を上げてカットせざるを得ない、というところに必殺の。

インローだと、仮にそれが当たったとしても歩幅が開きますので金的が狙いやすくなります。

顔を傷付けないので、もし警察に捕まったとしても傷害罪がつきにくくなります。

 

まあ体の回復力と相談しながら、適度に格闘技を楽しんでいます。

そして最後はやはり体格、体重がモノを言うという事もわかっていますので、それなりにウェイトも続けていこうと思っています。

 

 

EIZO Japanの年末のライブ映像を公開しました。

 

 

 

 

青春ですね。

これは紛れもなく。

しかしこうしたものを後ろ向きではなく、まさしく今の闘いとして向き合うのが本当の青春であり闘いの人生。

やってやるぜ!

抜栓したての、タンニンが刺々しいワイン。

それが若さだというなら、それも人間味のうちじゃないか。

みたいな。

私は嫌いじゃないですよ。

 

格闘技の修行に励んでいます。

いや、これも音楽を作るための一環なんですよ。

今週は月曜 打撃(ムエタイ)、火曜グラップリング(レスリングとサブミッション)、そして水曜は1時間ほど打撃の練習をしたのちグラップリングとして、ひたすら両足タックルから腕ひしぎ逆十字を極める練習などしました。

 

22歳の男子とずっと練習いてたんですが、やはり若いっていいですね。

上手いとか下手とか置いておいて、フレッシュさがあります。私も強くなります。

そういや今週、やっと寝技の感覚が戻ってきた感じを実感しました。

「ああ、これこれ」みたいな。

ビチッ!とくっついてスライムのように…

猪木がよく言っていた「でっかい岩が乗っているより、ブヨブヨの水の塊に乗られた方が身動き取れない」というのは、まさにグラウンドレスリングの神髄。それを常に意識して脱力しています。

 

で、その22歳の男子。練習を終え、礼をしたあと、後ろを向いて…

「うおー!!(格闘技)おもしれー!!」

って叫んでたんですよ。

いいですね!これが若さですよ!

是非、打ち込んで欲しいです。その心が彼を強くさせるでしょう。

 

さらにその彼、バンドをやっていたんですよね。

バンド名を聞いて、YouTubeで見てみました。

下北沢とかで活動している、下北系のオシャレなポップバンドでした。

シングルコイルギターがとても良い音で、リズムも軽快。誠に心地よい音楽でした。

 

「CHINOさんのバンドも教えて下さい!」

と言われて教えたんだけど…

帰って聴いてみてアレでしょうな。

 

吹き荒ぶ風に 闘いの予感

 

とか歌ってて、あまりに違う世界観に戸惑っているでしょうな。

 

 

閑話休題。

 

最近は”格闘技”というと、それは格闘競技(ルールあるスポーツ)のことを指すようになってきたと感じます。

私は、格闘技の技を習っても、「相手が多数だったらどうするんだろう」とか、「素手の場合はこの角度では打てないのではないか」などと常に考えています。

ボクシングのフットワークを使いながらも、金的を狙われないように意識して歩幅を狭めたりしています。

しかし近年、こういう考えを持つ人間自体が少なくなったというか。

「これは反則だから」とかね。

反則という事は、裏を返せばそれが一番実戦的という事です。積極的に使っていかねばなりません。

こういう考えで修練するものは、格闘技とは別に、”武術”とカテゴライズされるようになりました。

そして武術をやっている人は、今はほとんど見ません。

これも時代ですかねえ。

いつでもやってやるぞコノヤロー!

あけましておめでとうございます。

 

2025年最後のライブとなった、富山公演の動画を見返しています。

なんかね、「Rain in vain」とかでは私が32歳の頃に戻ってるんですよね。

そういうものですよね、人生って。

32歳っていうと、ちょうど人間の全盛期最後の頃ですね。

猪木がアリと闘ったのは、33歳。アリは34歳。

最後の全盛期でした。

 

まあそういうわけでね。

我ながら引き込まれてしまうんですよ。

 

今年はね、そういう情念の炎を再燃します。

こういう目標もどうかとは思うけど。

やはり社会の一員として生きていくためには、殺さなきゃいけない事も多いですからね。

その中で、どうやってかつての情熱を取り戻していくのか…

ゴッホのように、片耳ちぎってでも愛を伝えねば、芸術家とは言えないのしょうか…

 

いやしかし、EIZO Japanは売れた。

それはつまり、私の偏愛的な情念が資本主義社会という巨大な壁に対しても有効であったという証。

じゃあ見せてやろう。

私という人間が本来、どれほど獣のように狂暴であるか

どれほどロマンティシズムを持っているか

如何に反社会的であったとしても

どれほど愛を涙で語るのか

 

 

み  た  い  な!

 

 

今年もよろしくお願いいたします。