年始の記事で、ほぼ全ての本を捨てたことを書きました。
なんでそんなことをしたのか。
「本を捨てる」という行為の中で自分が感じたことを記録のために残しておくことにします。
本を捨てたときの感情は、「嬉しい」
本を捨てたときに、僕が持った感情は「嬉しい」でした。
不要なものが肩から降りた感じ。
その直後、尊敬する村上和雄先生のこんな言葉に出会いました。
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取っておこうという気持ちがあるのは、そのモノに価値を感じているからですよね。
ではその価値について、本当にきちんと思考しているだろうか。どういう価値を感じてそれを取っておこうとしているのか。
そうして検証を進めていくと、例えば本の処分ができないのは、自分の教養が高いのを見せつけようと無自覚に思っていたからだと気づくかもしれない。
そうしたら、そんな形で自分の凄さを社会に証明する必要はあるのかってまた自分に問いかけるんです。
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本の処分ができないのは、自分の教養が高いのを見せつけようと無自覚に思っていたからだと気づくかもしれない。
というのはまさにその通りで、捨てるという行為を通して、自分がいかに自己顕示していたかを知りました。
そして、捨てることによって、自分が何か周りに対してしていたファイティングポーズを解いたような安心感と、「やっと俺捨てる覚悟ができたな」という嬉しさがありました。
物を捨てることを通じて自分の価値観を問い直す。
そんなことが嬉しかったという、そんなお話です。
知識を≪頭≫で理解するのはもういったんやめたい
もうひとつの本を捨てた大きな理由は、「知識を≪頭≫で理解するのはもういったんやめたい」
そう思っていたんだと思います。
本があるジャンルに関する知恵をくれたにしろ、人生における先人の知識だったにしろ、
そういうものを「知る」ことは、ある飽和点を超えれば、特に意味を成さないことを感じ始めていました。
ブログで何度か、「左脳どっかいけ!」みたいなことも書いたことがあったと思います。
僕自身、中途半端にそのような知識を手に入れることは、むしろマイナスだと感じ始めていました。
こんなことを先日のブログで書きました。
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リーダーシップやいろんな知識・スキルなど含めて、何かを身に着けようとするよりは、
やりたいことをとにかく行動に移して、壁にぶつかって、それを超えるために仲間に助けを求めることが大事だと僕は思いました。
何かを身に着けようとするよりは、
放して捨てることが大事だと僕は思いました。
人を批評するよりは、
自分を徹底的に批判して、それで泣きそうで悔しい自分をバネに前に進む方が大事だと僕は思いました。
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知識を無駄に手に入れることは、ただ≪頭≫で理解しているだけなのに、あたかも自分がそれを知って、「実際にできている」ような錯誤に陥ることがあります。
それが、僕のような若造にとってみれば、上から目線の温床ですし、知らず知らず「批評をする」という行為につながってきます。
なんだ、あの人はこんなことも知らないのか?
なんだ、あの人はこんなこともできてないのか?
なんだ、日本にはリーダーがいないじゃないか?
なんだ、日本はやばいぞ。海外に逃げよう!
とか、いろいろ言われていますが、正直そのどれもが「自分自身が生き生きと生きる」という究極の問題に対してはなにも関係のない事項です。
それらは、「他人(環境)がどうあるか」の問いでしかなく、「自分自身の改善への問い」となっていません。
≪頭≫で理解していることをベースに人を批評するのはある種、卑怯で恥ずかしいことだと僕は思います。
民主党がどうだ!とか、それは頭で理解してそういっているのだろうけど、本当に心底感じていることなのか?
本当に心底、日本の将来に対して強い思いがあるのであれば、何か僕は、僕自身はそのために心から何ができたのか?
この問いが重要だと僕は思います。
ここまで書いてすぐ、また糸井重里さんのこんな言葉に出会いました。
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その人たちが迷惑をかけるんですよ。なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、すごく頭のいいことを考えて、みんながそれに従えば世の中がよくなると思ってるんです。
で、法律や、決まりや、マニュアルをたくさんつくる。それに従えば幸せがやってくると思って。
「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、
「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、「俺、じつは読んでないんですよ」とか、「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。
そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、「どうして大衆ってバカなんだろう」ってもう、涙を流しながら思うんです。
「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。でもね、彼らが言うようなことが、世の中を変えたことは一度もないんですよ。
まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、本当になにかを変えるようなものっていうのは、「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、
そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、決まりやルールは、あとからできるんです。
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引用元:http://www.1101.com/miyamoto/2008-02-05.html
僕が初めて就職したときに、尊敬する上司に言われた言葉があります。
「自分のことは頭で考えなさい。人のことは心で考えなさい。」
その思いが現れたのが、この言葉でした。
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自分のことは自分の想いに従えばいいけれども、相手がいることに関して感情で物事を処理していくことは、
相手を信じることを諦めていることと同意であり、思いやりをもって相手の心に寄り添うことが大事だと僕は思いました。
みんなを幸せにしようとするよりは、
ひとり、ひとり、ひとり、ひとりを大事にするほうが大事だと僕は思いました。
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相手の心に寄り添いたい。相手の気持ちを腹から理解して、ひとりひとりの想いを大事にしたい。
そう思うような変化が去年はありました。
知識のインプットは、今は一旦できる限り封鎖します。
そして、徹底的な自己批判、相手の気持ちに寄り添う感性を磨くこと、それらを通じて、自分が感じたことに圧倒的な行動を起こしたい。
そんな思いを込めた、「本を捨てる」でした。
最後に、坂上真民さんが残した「本もの」という言葉を残しておきます。
本もの
本を百万巻読んでも
本ものにはなれない
本は頭を肥やすが
足は少しも肥やしはしない
足からきた悟りが
本ものである
坂村真民