「誓い」 | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

2012年という新たな年を迎えた。

今の今まで、様々なことが頭を巡り、なんとも整理がつかず、この複雑に絡みすぎた心境の全てを言葉にしてしまうことに対して大きな躊躇を感じていた。今この瞬間もそうだ。

でも、時間だけは待ってくれない。思い悩んでいる間にも時は過ぎ、無言のプレッシャーを与える。どうしても居たたまれなくなった僕は、次の行動を起こすためにこうやって「言葉」にすることに対峙せざるを得なくなっているというのが本心だ。

2010年4月にシンガポールから帰国し、2011年4月にエモーチオ設立、そして、もう2012年1月を迎えた。約1年半という月日が過ぎた。

この1年半前、自分がシンガポール・大企業から飛び出したきっかけは、「何だか分からないけど、衝動的に自分を変えなければならない」という思いからだった。サラリーマンをしながら、「良い給料を得て」、「昇進をどんどんして」、「立場を得て部下を持ち」、「グローバルでも通用する」などというレッテルをどんどん拾い集め、自分の心を守るようにレッテルで固めて防御し、いつの間にか自分が気付かないところで「偉そう」になっていき、その割には自分が「使命」だと感じることに着手をせず、最終的にどこか心を燃やせないでいることに残りの人生をかけていくことにどうにもこうにも自分自身が納得できないという不満を感じたからだった。

そして、この「1年半という時間」は自分にとってなんだったのかというと、今振り返れば「自分という人間を顧みる時間」だった気がする。

大雑把に言ってしまえば、僕のこれまでの人生は、「自分中心に生きまくり、「俺は俺だ」と叫びながら、世の中の様々なことに「怒り」をぶつけ、理想を自分の中で創り上げ、語り、その実現に邁進し、多くのエネルギーをその実現(=自己正当化すること)に消費し、自分という人間を大きく魅せたり見栄を張ってみたり、逆に言えば、自分の弱い部分をできるだけ自分でも見ないように、相手にも見せ(え)ないように生きてきた。」と言える。そして、「実現するたびに鎧を与えられ、強くなった気でいた。」のだろう。

じゃあこの1年半はなんだったかというと、そんな鎧を全部取り払った自分の魂に出会うために、自分が28年間かけて一生懸命作り上げてきた「鎧」を剥ごうとしつつ、自分を直視しようとしながら、自分自身のあるべき方向性を探る時間だった。

そして、いざ直視をしてみると、実は「もう中身が全然イケてなくてショックを受けている」というのが今の状態かもしれない。なんとも自分中心な生き方・考え方が、あらゆるところにこびりついており、無理やり剥がそうとすると本質的な中身がどうもイケてないものだから、鎧なしでは世の中で勝負できない状態になっている。というのが私自身に想う感想だ。

あれほど好きだった自分が大嫌いになってしまいそうな嗚咽感をどうにかごまかしながら、「今となっては直ぐ様にでも変わって本質的に強い魂に生まれ変わりたいという欲求」と「でも、実はものすごく脆く弱くて目も当てたくない自分に対する現実への苦しさ」との矛盾の狭間でもがいている。

そして、今ここにして思う、この現状を打破する方向性として一旦出した結論は、
・ 『今までの「鎧」を恐れず全て捨て、初心に返ること』
・ 『自分の周りにいてくれる縁のある方を心から理解し、愛し、ただただ喜んで貰えるように尽くし貢献
することに命を注ぐこと』
なのだと感じている。

一言でいえば、「自捨新生」と「他喜」かもしれない。

この2つをテーマに、2012年は、明るく狂ったようにバカになりながら、一生懸命魂を磨き続けるのだと意思をもって誓いたい。

つらいことが多いのは、感謝を知らないから。
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるから。
悲しい事が多いのは、自分のことしかわからないから。
心配することが多いのは、いまを懸命にいきていないから。

※「四無量心」(慈・悲・喜・捨)
慈…相手の幸福を望む心
悲…相手の苦しみを覗いてあげたいと思う心
喜…相手の幸福を喜ぶ心
捨…相手に対する平静で落ち着いた心。