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古道具屋田中幸生のブログ

古道具・生活雑貨・骨董品などの買い取り及び販売をしております。骨董市やフリーマーケット、屋内イベントなどへの出店風景や商品を紹介します。

私は、令和2年12月に腎細胞がん肺肝臓転移のステージ4の告知を受けました。もちろん2年以上経った今も元気です。


 今日は抗がん剤治療のお話しをします。告知後の生検で使う薬が決まりました。免疫チェック阻害薬のオブジーボ、ヤーボイの併用療法です。

時系列で、まずは令和2年の12月23日これは1週間入院しました。そして2回目は令和3年の1月14日そして3回目は2月4日でした。この頃から頭のもみあげから頭のてっぺんにかけてそれまで感じた事のないぞくぞくする不快感が始まりました。そして4回目の2月24日この後、頭のぞくぞく、頭痛、食欲ふしん、手の震え、悪寒を強く感じる様になりました。

そして3月2日に緊急外来して翌日から入院になりました。それが副作用でした。この件は別のブログでお話し致します。結局3月3日から3月28日まで入院していました。

 退院後の外来は4月8日、そして5月13日の外来は血液検査と尿検査それとCTです。前回のCTは2月でした。そして診察室へ入りました。血液検査の結果は甲状腺の数値以外は特に問題はなく次はCTです。そして肺の転移は少なくなり肝臓、腎臓の癌も止まっています。薬が効いていますと話してくれました。先生も笑みがあった気がしました。そしてありがとうございましたと言い外来は終わりました。この日に、確かにやったーと思った瞬間がありました。私の場合、自己免疫異常の副作用が現れてこの病気の経過が変わって来たのだと思います。簡単ではありますが今日はこの辺で。

私は令和2年の12月に腎細胞がんの肺肝臓転移のステージ4の告知を受けました。

 病院に行ったきっかけは、かなり凄い濃い色の血尿です。実は私は古道具屋で骨董市に出店します。前年の夏の暑い日に🥵水分をあまり取らないで仕事をしていてトイレでうすい色の血尿がでた事が有りました。何だと思い水を飲んでしばらくゆっくり仕事してまたトイレに行ったときは見た目が普通だったので特に気にしなかったのです。 数ヶ月だった時またうすい色の血尿が出ましたがまた水を飲んで休んでいると普通になっていたので疲れからかなと思い医者にも行かずそのまま放置してしまいました。と言うのは、最初の時はネットで疲れや熱中症などでも血尿はあると見ていましたしもう一つははづかしい面倒と言う気持ちが強かったからです。

 そして1年以上経ってその凄い血尿の日が来だのです。それで初めて近所の泌尿器医院へ行くとある程度の検査をして大きい病院を紹介され血液検査やCT更に入院しての生検そして説明や告知、その後に治療となりました。

 それがオブジーボ、ヤーボイの併用療法です。最初の頃の私は昼は比較的普通でも夜になるとネットで癌を調べてはあれこれ考え眠れなく病院から眠剤リスミーを処方してもらいなんとか眠ている毎日でした。当然昼も体調が悪く全ては終わった様な考えでした。

 でも私の治療は一回目オブジーボ、ヤーボイは入院でしたが2回目からは外来だったので病院に行くと安心できケモ室で他の患者さんを見て自分だけじゃ無いと心の中でホッとしていました。たぶん一回目の入院で病院を信頼してある意味病院好きになったからだと思います。


 告知から1か月位経って少し気持ちは変わり初めた様に思います。


 細かいことはまた今度、今日はこの辺で。

腎細胞がん肺、肝臓転移のステージ4を告知されオブジーボ、ヤーボイ併用療法をしますと主治医の先生に説明されました。そして1回目は入院してやると言われました。

 癌と言えば手術で取る、そして治すものだと思っていたので、私は気休めの延命かと思っていました。そしてケースに入った冊子とDVDをもらいました。家に帰って冊子を読んでDVDを見ました。その時の第一印象は、これは凄いそして早くやりたいと思いました。別に治るとは思いませんが何でもいいから見離さないでと言う気持ちともしかしたら奇跡がなどと思っていました。

 この頃はよく日記にやりたい事や気持ちを書いていました。例えば家をキレイにしたい、仕事をしたい、癌を治す努力をしたい、癌のグチを言いたくない、長生きしたい、そして最後まで頑張りたいなんて書いていました。今でも覚えています。でも2年経った今元気に生きています。当時の自分におしえてやりたい、だから皆様にお話ししています。今日はこのへんでありがとうございます😊