エヴァンゲリオン第六話「決戦、第3新東京市」、ご存知ヤシマ作戦が描かれる回で、好きな方多いと思います。全26話のまだ序盤であるにも関わらず、日本中を停電にして日本全国の電力を初号機に集めるという最大規模の戦闘シーンが描かれます。そしてその結果我々視聴者は、四半世紀過ぎ作品の舞台である西暦2015年も昔となった今でも、エヴァンゲリオンという作品に夢中になっています。シン・エヴァンゲリオン劇場版:Ⅱタイトルの末尾についている反復記号は、まさに我々かエヴァンゲリオンを繰り返し何回も見る様を表しているようにすら思えてきます。

 二子山にてシンジ君とレイはまず作戦の説明を受けます。シンジ君が初号機で砲手、レイが零号機で防御を担当することになり、これは今回の作戦ではより精度の高いオペレーションが必要で、シンクロ率の高いシンジ君の方が狙撃に向いているとのことでした。そして日付変更とともに作戦が開始され、日本中のエネルギーが送電され始めます。そして発射まであと5秒のあたり、全エネルギーがポジトロンライフルへ送られたとき、第5使徒ラミエルに突然高エネルギー反応が確認されます。日本中のエネルギーが集中したことで、使徒に気づかれてしまったのでしょう。そして初号機の狙撃と同時に、使徒も攻撃してきます。互いの攻撃は干渉し合い、どちらも外れます。第2射の準備を急いで始めますが、使徒はすかさず初号機めがけて攻撃してきます。あわや直撃というところで、レイの零号機が盾で初号機を守ります。しかしそう長くは耐えれず、盾が溶けきる寸前、ライフルの充電が終わり初号機は第2射を撃ち込み、使徒を殲滅します。初号機を守り大破した零号機からシンジ君はレイを救出し、無事作戦終了で第六話は終わります。

 このヤシマ作戦の演出の素晴らしさは今さら語るまでもないかと思います。何度でも見たくなる魅力が詰まっていますね。そして2006年、ヱヴァンゲリヲン新劇場版序にて、さらにパワーアップしてリメイクされます。そしてその展開には微妙な変化があり、そこに新劇場版のテーマがあるように思えます。

 まず二子山にて作戦の説明を受けます。その際に、シンジ君が砲手なのは、今回の作戦ではより精度の高いオペレーションが必要で、未調整の零号機より、修復中ながらも初号機の方が有利ということでした。およそ10時間前の戦術作戦部の会議では、零号機は未調整のため実戦は不可能といった会話がありました。エヴァを精密に動かすにはエヴァ本体に何らかの調整が必要なのでしょう。そして先の出撃の際重症を負い病室で目覚めたシンジ君はレイに、もしシンジ君が来なくてもレイが変わりに初号機に乗るからエヴァに乗りたくなければ寝てればいいというようなことを言われています。つまり狙撃をするのは初号機でなくてはならないが、初号機にはシンジ君でなくても乗れるのが新劇場版でのヤシマ作戦です。シンクロ率の高さが求められ、シンジ君という個人が砲手として必要とされたアニメ版と大きく異なります。(ちなみにアニメ版でもレイは、コアの書き換えによりレイでも初号機に乗ることはできるというようなことを病室で言っていました。)

 そして作戦開始、電力供給が始まります。我々視聴者はこの電力供給が使徒にばれてしまい、第1射が外れることを知っています。しかし、その不安を先読みしたかのように、ミサトさんから予定通り行動開始の命令が下り、地上のあらゆる攻撃施設から次々と陽動攻撃が始まります。アニメ版の失敗は新劇場版では繰り返されないのです。

 電力の第4次接続が終わったところで、初号機は狙撃の準備を始めます。最終安全装置を解除すべく、初号機は陽電子砲の撃鉄を起こし、玉が込められます。そして初号機のG型装備が起動し、射撃用諸元をマヤさんが入力し、照準器の準備も終わります。そしていよいよ電力の第5次最終接続がなされ、全エネルギーが超高電圧システムへ流れ、陽電子砲の電力供給準備も完了します。ヤシマ作戦のBGM、圧倒的なクオリティの作画、ネルフスタッフの気合いの入ったセリフに、我々視聴者のボルテージも最高潮を迎えたその時、シンジ君は一人初号機の中で突然、

「綾波ほどの覚悟もない。うまくエヴァを操縦する自信もない。理由もわからずただ動かしてただけだ。人類を守る?こんな実感もわかない大事なこと、何でぼくなんだ?」

と、全く関係ないことを考え出します。そんな中、発射のカウントダウンは進み、ミサトさんの合図と共にシンジ君は引き金を引きます。その一撃は第6の使徒の体を貫きます。しかし、コアを打ち損じ、致命傷とはなりませんでした。そして初号機が狙撃してきた方向に向かって使徒は光線を放ち、二子山は炎上し、ミサトさんの乗る戦闘指揮車はふっ飛ばされます。

シンジ君は作戦前、レイに告げられた集合時間1930に集合場所である第2ターミナルに現れず、ビルとビルの間の渡り廊下で一人手すりにもたれて夜景を眺めていました。そして、連れ出しに来たミサトさんに対して、自分だけが怖い目に合って、ミサトさんたちは地下の安全なとから命令しているだけでずるいと言いました。そして今、使徒の攻撃により辺り一面燃え上がり、ミサトさんの乗る車は吹き飛ばされました。おそらく地上作業員にもそれなりの被害が出たでしょう、奇しくもエヴァに乗っているシンジ君がこの場では一番安全でした。そして

この被害は、シンジ君の狙撃が外れたことによるものです、それも余計なことを考えながら放った一撃です。無論劇中でコアを打ち損じたのはシンジ君のミスであるような描写はなく、指揮車内でも使徒が想定外の回避行動をしたかのような会話がされました。おそらく狙撃が外れたのはシンジ君のミスではなく本当に使徒が避けたからでしょう。それでも、外したのは余計なことを考えながら撃ったシンジ君です。シンジ君は反撃を受けてエヴァの中で泣き震えます。作戦直前まで使途と戦うのが恐いと言って乗りたがらなかったのを見ていた周りの人たちには、使徒の反撃により恐くて泣いているように見えたでしょう。しかしシンジ君だけは、自分が中途半端な気持ちで作戦に臨んでいたことを知っています、そしてその結果反撃をくらい、安全なところにてズルいと思っていた大人達が使徒の攻撃に晒されたのです。そして最も安全な所から周囲の惨状を目の当たりにしたシンジ君は、エヴァに乗る責任の重さに気付き、震えうずくまったのではないでしょうか?そしてその責任をめて(始めて)背負う決意をし、操縦桿を握り、今度こそ自分の意思で撃つべくG型装備を破棄し射撃最終システムをマニュアルに切り替えたのです。

 このように考えると、続くQ:Ⅱの流れもしっくりくるかと思います。アスカが乗る参号機は使徒に乗っ取られ暴走しました。シンジ君は出撃しますが、アスカが乗っているから戦えないと言い、何もしません。しかし本当は、アスカを助けることはできたはずです。結果として助かるかどうかと、助けるという行動をすることは別のことです。しかしその結果に対して無責任でいたいシンジ君は、背負い序めたはずのエヴァパイロットとしての責任をり、自分は何もせず、父親にダミープラグを起動させる決断を押し付け、挙げ句結果としてアスカが負傷したことをゲンドウの責任に仕立て上げ、自分は悪くないことにしたのです。責任を背負わない者は大人とは見なされない、だからこそ初号機を占拠したシンジ君の訴えは、ゲンドウにとっては子供の駄々なのです。そして責任放棄したことから目を背け続けたまま再開したアスカには、ガキシンジと呼ばれるのです。しかもアスカからすれば、レイはニアサードインパクトを引き起こしてまで助けようとしたのに、自分はなにもしてもらえなかったのです。Q終盤、助けてくれないことを怒ったのもよくわかります。第三村にたどり着いたシンジ君は、大人になり医者になっていたトウジと再開します。トウジは、全ての人を助けられるわけではないが、助けられなかった人の気持ちを含めて患者の思いを受け止めるのが医者の仕事と言いました。アスカを助けることを放棄したシンジ君にはとてもささったことでしょう、そしてアスカを助けず責任から目を背けたことを悔い、再び(:Ⅱ)背負うことを決意したシンジ君は、初号機に乗りゲンドウと対峙するのです。そして責任を背負うシンジ君をみてゲンドウは、大人になったなと声をかけるのです。

 第6の使徒に吹き飛ばされ一度泣きながらうずくまるが、それでも決意の表情で操縦桿を握るシンジ君の姿、ただ恐くて震えていただけには見えなくなってきませんか?そしてみなさん、余計なことを考えてやったことって、結果がどうであれ原因がどうであれ悔いが残る、そんな経験したことはありませんか?そんな視点でヱヴァンゲリヲン新劇場版序を、そして続く破、Q、:Ⅱを見直してみると、また新しい見え方ができそうではないでしょうか?