この映像かわいいですよ。
http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48406788/48406788peevee231831.flv
ネズミがね、この猫が好きで好きで好きで好きでしょうがないわけで
一生懸命追いかけていって
猫は 嫌だ~するんですけど
最後には、イヤイヤ?仲良くなるという(‐^▽^‐)
かわいい★
ネズミと猫が仲良くなる時代
人間は
せめて人間同士仲良くなることはむずかしいのでしょうか?
イスラエルとパレスティナは、
隣同士 同じ人間なのに
人間は、観念によってどこまでも惨くなれるってことは歴史が証明してくれていて
もう、
もう、その実験はいいよ。いっぱいやったじゃん。って思うんですよね。
逆をやろうよって。
生まれてきたときは、何にも区別がなく、どんな大人が覗き込んでも
ニコニコ返してくれたのに
無垢の美しさを大人に教えてくれるのに
大人になったら、
同じように目も鼻も口も 構造も一緒なのに
怒りと憎しみでののしり合うなんて。
コツコツコツコツ情報データをためこんで作り上げた観念が
作り上げた判断基準のものさしが違うだけで
ここまでやり合えるのも 人間のエネルギーの大きさゆえかもしれません
まずは、人間の脳は違いだけを
上手に上手に 違いだけをとるようにできています。
生まれてきたときは、暗い産道を抜けたらママから分かれて
ビックリ
ワーーン!!からスタート。
でも最初はビックリしちゃったけど、ヒトツだって思ってたのに、分かれてみたら
違いが楽しくてしょうがなくて
これも違うんだ♪ わ!あれも違うんだ☆ ニコニコ!
それが、大人になるほど違うことが憎くなってしまう。
姿かたち以上に、
思ってること、考えてること、もっと深い思想哲学宗教。
見えないものが違うほうが、イライラ。
本当はどっちのために、私たちは「違いをだけを取る」という並外れた機能を与えられたのでしょうか?
私たちは、私たちがどういう機能をもっていて、どういう「うっかりメカニズム」の中にいるのか明確に知る必要があるのではないでしょうか?
そして、何のためにその機能を持っているのか。
生まれてきてから蓄積した観念でそれを解析しようとしても
誰一人同じ観念や経験はもっていません。
HITOTSU学には、マインドーム理論があります。
非常にシンプルな理論ですが。
人間がなぜ争ってしまうのか。
子供でもわかるくらいの なのに、学者でも納得するぐらい
ウルトラ・ロジカル・アカデミックに表現してしまいます。(長島さん風?)
ま、ともかく凄いです。
私はHITOTSU学に出会うまでは
平和という言葉が
大嫌いでした。
平和というのは、地獄を見たことがない人間が言うことだ。
甘ったれた言葉だと
気持ち悪く思っていました。
そんな私が
「平和」が来るって もしかしたらそんなの思ってもいいかも!
と思えたのは
HITOTSU学のマインドーム理論を聞いたときでした。
そのときは、
「平和っていいかもなんて、うっかり思っちゃった!」と
自分でもビックリしましたが
なぜ、平和になれないのかが ものすごく納得したんですね。
それは無理な話だよ。
が
絶対に無理だって思ってたけど、なぜ今までが無理だったかの理由が明確にわかって
じゃ、どうすればいいのか。まで。
どの時代の人が聞いても納得する理論があれば
観念って。
変わりますよ。
人一人殺すということは ものすごいエネルギーがいることではないでしょうか。
信じる世界ではなく
自分が納得すること。
世界が納得できる理論が ものすごく実践的現実的理論があるので
早くいろんな方に知ってもらって
知ってもらうことじゃなくて
それを使って 未来をつくっていくことに
今までの無駄に消耗してきたエネルギーを有益に活用していきたい。
なんて、平和なんて無理だって!って
無限の確信を持ってた私が 今書いてみたりしちゃってます。
みなさんはどう思いますか?