とうとうこの日がやってきてしまった。

9/7(月)17:15

愛猫 いろは 20歳

永眠いたしました。

落ち込んでる私に声をかけてくれた皆様
ほんとにありがとうございました。

いろはの話を聞いてくれる人がいると
私はとても癒されました。

そして、そらいの前で沢山泣きました。
今でも『いろちゃんに会いたいね』と言いながら泣いてます。

そらいはなでなでして
『泣くと頭痛くなるよ』と言ってくれます。
そして、堂島孝平さんの
【no goodbye】という曲をかけてくれます。

まだまだ悲しくて
いろはに会いたくて触りたくてしょうがないけど
後悔もいっぱいあるけど
【ありがとう】もいっぱいです。

長くなりますが
いろはとの最後、思い出を
残したいので綴ります。








最後の瞬間一緒にいることができて
本当に良かった。

それも沢山の奇跡が起こっての事でした。

亡くなる4日前。

知らない電話番号から電話が来ました。

出てみると
『お宅の猫がうちにきています。
黒猫です』
とのこと。

どうやら歩いて3分くらいのお宅にお邪魔したようで首輪に名前と私の電話番号を記してたので
電話をくださいました。

『その猫は20歳で耳も聞こえないし
目もほとんど見えてないのです。
すぐに迎えに行きます。』

そしてこちらの住所と名前をお伝えしました。
『いろはは私の猫で私は小泉と言いますが、今は実家にその猫は住んでて
そちはら渡辺と言います』

すると

『レモンちゃんとチェリーちゃんの?!』という言葉

『そうです!!もしかして
レモンやチェリーがお邪魔してたお宅ですか?!?!』

びっくりしたことに
22年前くらいに飼っていた猫も
たびたびお邪魔して可愛がってもらっていたお宅でした。

そんなご縁にびっくりしつつも
迷子になったことなんてなかったいろはが
あんな遠くまで行ってる、、、

最近体重も減り、寝てばかり。
毛の艶もなくなってきていて

【猫は死場所を探す】といわれているのもあり

これは覚悟しないといけないなと思いながらいろはに再会しました。

身体が少し濡れていたので拭いてあげて
抱っこして撫でるけど
少しどこかに行きたい
1人にして欲しいという感じがありました。

寂しいけど私に甘えるって感じではありませんでした。

そして、もう家から出ないように
実家にお願いしてその日はマンションに帰りました。

次の日の朝お母さんから

『いろはがまたいない』との連絡!!

子供達を保育園に送らなければいけないけど、それよりいろはを探すことが優先!!

やりかけの事もそのままで
探せるように
ゆい君を抱っこ紐でおんぶしてすぐに実家へ。

そして家の周りを探しました。

お母さんも仕事がありもう少しで出かけないといけない

『いろは〜』と呼んでももう耳が聞こえないから色々な所を必死で探しました

なかなか見つからず
探しながら、見つからなければ
もう会えないかも、、、と涙が出てきました。

グルーーっと回って一度実家に戻ると

お母さんが飛び出してきて
『いろはいたよ!!』と!!

あーーーーーよかったーーーー涙

どうやらお隣の家の外壁工事のために足場を組んでる兄さんたちが沢山いて窓ごしに
『黒猫みませんでしたか?』
ときいてみたら
『あっちにいきましたよ』と教えてくれたそうで、ふらふら歩いてるいろはを
連れ戻すことができたようでした。

保育園に送ったあと
柔らかい猫のご飯を買ってきて
食べさせました。

それがしっかりご飯を食べたのは最後となりました。

その後一日中仕事だったので
一緒にいることができませんでしたが

夜のオンラインクラスのために
実家に行くと
クラスの途中、久しぶりに大きな
いろはの鳴き声が聞こえてきました。
(この日の動画に記録されているので
永久保存版です)

そして日曜日の朝お母さんから呼び出し
トイレに行ったあとパタンと倒れたようで
『いろはそろそろかも』

そこから、その日の予定をキャンセルし
ずーーーーっと寄り添いました。
いっぱい語りかけました。


思えばいろはと出会ったのは私が20歳

当時通ってた短大の校内に迷い込んできてて
『子猫がいる!怪我してるっぽい」
と聞こえてきて

『私が!!』と手を上げて
シャーシャー威嚇しなが逃げまくっている
小さい黒猫を捕まえました。

最終的には大きなキャンバスとキャンバスの間に挟まってるのを捕まえたんだったっけな

怪我をしてるから病院に連れて行って

寮に住んでたので自分では飼えないので
飼い主が見つかるまでーと

寮でこっそりとお世話をし始めました。

かわいくて手放せなくなり
その時同じ部屋だったすみちゃんと2人で
考えて【いろは】と名前をつけました。

そこから20年。

東京にいた頃も3回もお引越しして

飛行機乗って今治にもお引越しして

最後は寒い新潟にお引越し


いろはの意見なんて聞いたことなかった。

家には沢山の友達が遊びに来るし
旅行に2泊3日いろはを置いて行ったこともあるし
子猫を拾っては連れてきて面倒見て里親に出して
きゅるりんもそんな流れで結局
里親に出さずに家族になって

私の勝手な都合でいろんなところに連れ回し、
不快な思い、さみしいおもいもさせてしまいました。

猫は選べない。

でもきっといろは私のこと大好きだったし
私がいればいろはは大丈夫という
信頼関係はあったと思う。

私といろはは2人で1人みたいな
そんな関係だった。

セットだった。

いろははとても美人で
かしこくて、上品で、気持ち良くて
いい匂いがした。




自慢の猫だったし
自慢の相棒だった。


だったのに

新潟に帰ってから
結婚を期にペット不可のマンションに住む事を私は選択してしまいました。

それまで毎日毎日
一緒に寝てたのに、そらいが生まれるまでは毎日さみしかった。泣いていました。
いろはもさみしかったかな?

でもそらいが生まれてからは
さみしいと感じる暇もなく、日々に追われ
いろはを抱っこする時間も減ってしまってました。

いろはも一緒に住みたいという思いはずーーーーっとあって、早く家を建てたいなぁと
ずーーーーっと思っていました。


ゆい君が生まれたらなおさら
一緒に過ごす時間が少なくなり

この1年でぐーっと歳をとったいろはの
その変化に気づきながらも
何もしてあげれませんでした。

刻一刻と別れの時は近づいているのに気付いてたのに

もう少し一緒にいる時間を作ればよかった。
後悔は山ほどあります。

そんな中

とうとうこの時が来てしまった。

日曜日の朝からいろははほんとかすかに息をしてるだけ
たまに起き上がろうとするけど
力がない。

水を与えても自分では飲めない。
飲もうとしない。
でもたまに綿棒で口に含ませてみた。


ほんとかすかに呼吸して穏やかに横になっていました。
生きるのが上手。
死にゆくのも上手。(変な言い方かもしれませんが)







ゆっくりわたしにも時間をくれたのか
日曜日は実家に泊まり思い出を語りながら
息が止まってない確認しながら
ずっと一緒にいました。


月曜日
午前中はスタジオでのクラスがありましたか
いろはは待っていてくれました。
その後のオンラインクラスはそばに置いてクラスをしました。

午後もずーーっと一緒にいて、子供たちのお迎えの時間だけお母さんにお願いして
急いで家に戻りました。

子供達がいたら、もうゆっくりいろはに寄り添えないのですが
バタバタしてる中もいろはは静かにそこにいました。

そして、子供達を置いて
荷物やお母さんが作ってくれたおかずを
マンションに持って行こうとしたら

ゆい君が踏ん張っている、、、

「あ!ゆい君がうんちしてるーー!」

いつもは「オムツ換えておくよー」と言ってくれるお母さんが
「オムツ換えていってー」と

「うんうん換えていくよー」と
交換してお風呂でお尻を洗い服を着せたところでした。

いろはの息が「ふっ!ふっ!」と
身体がビクビクしたりキューッと緊張したり
首をそらせたり
私は泣きながら
『いろはーーーーーありがとーーーー』
と何回も何回も言いました。
最後の瞬間は一息「ふほっ」と息をして動かなくなりました。

私はとお母さんとそらいとゆいに囲まれて。




沢山の幸せを感じさせてくれたいろは。
私に自信をもたせてくれるいろは。
私のことを大好きでいてくれたいろは。

会いたいよー!触りたいよー!
きっとまた会えると信じてる。

ありがとーーー!

いろは大好き!!

2020.9.27