私がシングルマザーになったのは、ほかの何でもない、2人の愛する娘を幸せにするため。
離婚するというのは、言い換えれば父親を奪うということでもあった。
例え離れていても、パパはパパだし、両親が一緒にいることだけが幸せとは限らない。
でも少なくとも、大好きなパパが遠くに行ってしまう。
朝起きた時、帰ってきた時、お休みの日、そこにいるはずのパパがいない毎日は、子どもたちにとって言い表せない悲しみがあるのは間違いなくて、まだ幼いから、とか、私の心の整理がついてないから、って子どもたちからしたらただの言い訳にしかすぎない理由で、私は母としての説明責任をまだ果たせていない。
愛していると言われた。
愛されていると思った。
彼と一緒に生きていきたい、彼と家族になりたい、彼との子どもが欲しい。
彼とならきっと、お互いの欠けた部分を補いながら、笑いあえる素敵な家族になれると思った。
結果的に別れることを選んだのは私のエゴで、
言い争いや彼の愛のない言葉を娘たちに聞かせるくらいなら、母親である私が娘たちに笑顔を見せてあげられないくらいなら、例えそれが茨の道でも、私が笑顔になることで、2人を笑顔にしたいと思ったから。
子どもたちから大切な父親を奪うという選択の中で、一世一代の覚悟をしてシングルマザーになった。
背もたれがあっても、頼りたいと思った時に寄りかかれる椅子でないのなら、初めから背もたれなんてない方がいい。
背筋をしゃんと伸ばして、背もたれに頼らず自分の力だけでそこにあれる様に。
誰にも頼らないこと。
弱さを見せないこと。
笑顔であること。
2人のために、私はここにどしんと構えて、どんな時も、何があっても、迷わずぎゅっと抱きしめてあげられるように、
娘たちの笑顔のためなら、他にはなにも望まない。
私の決意。
強くないからこそ、泣き虫だからこそ、強がって生きる必要がある。
笑顔を絶やさず生きる必要がある。
母である私が、そこにいてあげられるように。
離婚したのは、私が幸せになるためじゃない。
娘たちを、私が、幸せにするため。
だから、弱虫な私を大きな腕でぎゅっと抱きしめてくれると言われても、
たとえその腕が傷だらけで、私がそっと、手当てしてあげたいと思っても、
それでもし、娘たちが少しでも無理をしてしまうなら、その腕のために、時間や心を割いてはいけないんだ。
だってその腕はあくまで私を抱きしめてくれるものであって、娘たちも一緒に抱きしめてもらえるという確証はなくて、
心のどこかでその腕がどれだけ大きいかを察することが出来たとしても、私が弱さを見せることで、娘たちへの笑顔に涙の痕を残すわけにはいかないから。
1人で幼い娘たちをみながら、懸命に生きるのは簡単じゃない。
弱音を吐きたくなるし、投げ出したくなる事もある。
でもその心をさらけ出したら、たちまちに崩れてしまう衝立張りの強さしか持っていないから、だから、泣いてはいけないの。
泣いていいと言われても、泣き崩れてしまった時に100%そこにいて、私と娘たちを一緒に抱きしめてくれるくらい、完璧な背もたれでないのなら、私には要らない。
そして、完璧なんてこの世界にはない。
だから、頼らない。
信じない。
ひとりでいい。
迷いなく、揺らぎなく、娘たちのために私がここにいる。
私が2人にとっての居場所で、2人にとっての完璧な背もたれになれるように、
私はただ、娘たちのためだけに生きる。
2人がそれぞれ、私以外の居場所を自分たちで見つけてこれるまで、私はちゃんとここにいる。
私の強さが偽りでも、私の心が壊れそうでも、それでも、2人を笑顔にできるように、生まれてこれて良かった、生きていて良かった、そう思ってもらえるように、私は2人に愛を伝えていく。
私が愛される必要なんてない。
私のための居場所なんてなくたっていい。
私は人を信じられる人間じゃないから。
だから、ほんの1mmでもその腕に緩みを感じるなら、その腕を信じて寄りかかることはできないから。
娘たちのためだけに生きると決めた以上、たったその1mmのために、心を惑わされてる余裕はないから。
だからこれは、間違いなく私の問題。
もし私に、家族とか両親とか兄弟とか、夫とか彼氏とか親友とか仲間とか、どこかに一つでも、自信を持って私の居場所だと言える存在があったなら、あるいはそれが存在した記憶があったなら、
きっと私はもっと素直にこの腕に飛び込めたし、きっともっと気楽に母である自分を認められた。
でも、これまでの過去があるからこそ、この2人の最愛の娘の母になれたわけで、だから後悔はなにもしてないの。
愛し方も愛され方もわからない。
ただがむしゃらに、生きる意味を探して生きてきた私にとって、愛されること、愛されている自覚を持つこと、それが生きる上でなにより大きな意味を持つと思うから、
だから全力で、母としての愛を娘たちに伝えたくて。
でも、半人前で失敗だらけで、反省ばかりの毎日だから、100%やり切れてるって言えない限り、私は多分娘たちにとっての完璧な背もたれになんてなれないし、これからもきっとギリギリの壊れかけの時に背もたれを譲られたら、寄りかかりたくなって、また泣きそうになって、でもきっと信じて寄りかかることは出来ないまま、強さを求めて突き放すこと繰り返していくしか出来ない。
その上で多分、ここまで何度も諦めずに肩を貸してくれた人は、こんなにも大きな腕で構えててくれていた人は、これまでもこれからも、もう出会えないだろうなってわかる。
娘たちに出会う前に抱えてきた後悔は、娘たちのおかげで全部チャラになって、むしろ人生やり直せたって同じ道を歩みたいと思うけど、
今ここに残す後悔は、きっと一生の後悔になるはずで、それだけ大きく揺さぶられてる今を、私はいつか娘たちになんと話すんだろうって考える。
それでも、短すぎる時間の中で、100%の確信が持てなかった以上、私には要らないものでしかなかった。
そう言い聞かせて、私は私の覚悟を心に刻み直すしかない。
私は娘たちを幸せにするために、私が2人を幸せにするために、2人から父親を奪った。
だから、私が探しているのは私の幸せではなくて、2人を笑顔にするための居場所としての私。
生きること。
生き続けること。
泣かない、曲がらない、弱らない。
娘たちには、いつだって寄りかかれる背もたれのある椅子に座っている自覚を持って生きていて欲しいから。
だから、もう弱音を吐くのは今日で最後。
失敗だらけで不器用だけど、子どもたちのために全力で生きてる。
まだまだ半人前で未熟者の私を、母として、人として、認めて受け止めようとしてくれた。
誰にも届かなかった私の声に、耳を傾けてくれた。
そして、大きな腕で、傷だらけの腕で、必死に抱きしめてくれて、ありがとう。
あなたは立派な背もたれのある椅子で、誰かをきっと優しく支えられる人。
でも、そこに私が座るのはもったいないし、きっと私は重すぎる。
後悔はするでしょう。
これからは今以上に茨の道を進むことにもなると思う。
だけどそれでも、出会えてよかった。
きっとこれが、私が他人に流す最後の涙。
私に涙は似合わない。