#夏の出来事・・・

 

真夏の夜。

近くの河川敷で、毎年恒例の花火大会が開催される。その日は食堂も早終いして、こぞって花火見物に出かけるのである。

特に親方は江戸っ子だけあって花火には目がない。

昼のランチタイムが終わるとせかせかといち早く片づけを始める。片づけが終わると、納屋の奥から大きな御座を引っ張り出してきて、「場所取りにいくぞ」と言い、そそくさと出かけてしまった。

残されたボクたちの仕事はお弁当づくりである。何人分作るのだろうと思うほど、いくつもの煮物とたくさんの唐揚げを作り、大きなお弁当箱を並べ手順に詰め込んでいった。やがて近所の常連さんがやってきて、お弁当箱を抱えて運んでくれる。これが毎年の行事になっていることは知っていた。ボクも客として参加したことが何度かあったからである。

もちろん酒の調達は酒屋さんに任せる。魚屋は飛び切りの鯛と鯵を刺身にして持ってきた。日もくれる前から商店街連中の宴会が幕を開ける。

ヒデさんも誘ったのだが、この日は関西へ出張があるらしく、とても残念がっていた。

ボクはユイの隣に座り、ゆっくりと腰を下ろす。ユイは女将さんの着付けで浴衣姿になっている。女将さんの娘さんたちが着ていた浴衣らしい。紫陽花模様でとても美しい柄だ。もちろん、それを着ているユイはいつも以上に色っぽくて可愛い。あまり人前でデレデレするのはよろしくないことはわかっているのだが、浴衣姿を見せられてはたまらない。

しかもその姿を見つけた常連客連中がこぞってユイの隣に座りたがる。ボクの反対側のスペースであるが、その場所の争奪戦が始まっていた。しかしその争いを見て女将さんが黙って見ているわけもなく、むんずとユイの隣りに座ってしまった。

するとユイは安心したように女将さんに寄り添い、うっすらと目を瞑る。その途端にやわらかな風がふわっと吹いて、ユイの前髪をサラッと揺らした。

その様子を見ていたみんなが「おおっ」と声を上げて、女将さんもユイを抱きしめる。

「なんて可愛い子なんだろ。男どもがわめくのも無理ないね。キョウちゃん、今夜はこの子をあたしにレンタルしないかい?給料を倍にしてやるから。」

ボクはニッコリ微笑んで、ユイの腕をボクの方に引き寄せて、体ごと取り戻した。

「もちろんダメですよ。」

本当はいつでもキスしたい。そんな雰囲気だったが、さすがにそれは憚れる。しかし今宵のユイは皆をそんな雰囲気をさせるほど色っぽかった。みんなはそんなユイの笑顔に癒されている。ユイもみんなに愛されていることは理解している。

今宵の参加者は商店街の仲間であったり、食堂のお客さんでもあったり。ユイもボクもサービスの一環として順繰りにお酌をして回る。その都度会話が生まれては、笑顔が湧き出る。みんないい気分になった花火の夜だった。

その帰り道、親方がボソッとボクにつぶやいた。

「なぁキョウちゃん。そろそろ考えてくれたか。」

突然のことだったので、何のことか解らなくて首をかしげたまま黙っていた。

「ウチの二階に引っ越してくるって話だよ。ユイちゃんの実家に挨拶に行ったら考えておいてくれって言ってただろ?」

そういえば思い出した。ヒデさんからも提案されていた案件だった。

「その話、まだユイと詰めてないんですが、娘さんたちも了解されてるんですか?」

「ああ、もうあいつらには了解は貰ってるよ。逆に長女夫婦なんかはいつ来てくれるんだ、いつ跡を継いでくれるんだってせっつかれてるぐらいだよ。あいつらも後は継げないけど、食堂が消えるのは淋しいと言ってる。だから早く入って貰えって言われてるんだ。」

「わかりました。今夜、ユイと相談しておきます。」

そうは言ったものの、ボクの意向はほぼ決まっていた。

店の片づけを終えてアパートに帰り、ベッドに入る前にボクはユイを呼んで、親方から相談されたことを話してみる。

ユイはしばらく考えたのち、ボクに問いかけた。

「キョウちゃんはどうしたいの?」

「ボクはできればお世話になった親方たちに恩返しをしたい。でもそれは親方や女将さんの面倒をみるってことだから、ユイにも負担がかかるかもしれない。だからボク一人で決めてはいけないことなんだ。」

「女将さんの娘さんたちはなんて言ってるの?」

「早く入ってもらえって言ってるらしい。」

少し黙ったままじっとボクの目を見据えていたが、意を決したように、そして言葉を選びながら話し始める。

「親方さんにも女将さんにもお世話になったキョウちゃんの気持ちは良くわかる。私もキョウちゃんとこれからの人生を共にしたい。苦しい時も楽しい時も一緒に頑張りたい。だから、キョウちゃんが決めてくれれば、ユイは同じ道を歩きます。」

そういった後にボクに抱きついた。そして耳元でそっと囁く。

「でも、相談してくれてありがとう。何でも打ち明けてね。約束よ。」

「うん、約束する。」

ボクはユイの匂いに陶酔しながら、やわらかな体を抱きしめながら、これからの色々な人生を覚悟した。ユイの滑らかな肌は今宵もボクを魅了する。

 

 

翌日ボクは昼の賄いどき、食卓についた親方と女将さんを前に神妙に姿勢を正す。

「親方、女将さん、昨日の夜、親方からユイと相談するように言われてました、この二階への引越しの件ですが・・・・・。」

女将さんは身を乗り出してボクに声をかけようとしたが、親方がそれを遮った。

「昨晩、ユイと相談しました。ご存知の通り木更津の方も宇都宮の方も一通りの方はつきました。ボクたちは未熟ながらも所帯を持つことになります。そのためにはボクたちを応援してくれる後ろ盾が必要です。それを親方と女将さんにお願いしてはいけないでしょうか。もしお願いできるなら、ボクたちの身柄を引き取ってください。」

「それは、うちに来てくれるってことでいいのかい。」

「よろしくお願いします。」

ボクがその言葉を言い終わった瞬間、女将さんはユイを抱きしめた。

「ユイちゃんありがとう。きっとお前さんたちを大事にするよ。」

そして親方の顔を見上げて、

「あんた、よかったね。これでいいんだろ?」

「ああ、これでいいんだ。ワシもお前も安心できるってもんだ。例の話は娘たちには了解済みなんだろ?」

「ああ、もらってるよ。」

何だか不思議な話のような気がしたので、何の話をしているのか聞いてみた。

「娘さんの了解って、ボクたちが二階に引っ越してくることですか?」

すると親方はニッコリとした表情で、

「違うよ。お前たちをウチの養子にするって言う話さ。いずれ店ごと継いでもらおうと思っているからな。娘たちにも了解はもらってあるんだ。」

「親方、話が急過ぎやしませんか。それはもうちょっとボクたちを見てから判断してください。まだ一年も経ってないんですから。」

「わかった、わかった。とりあえず引越しが先だな。で、いつ来る?」

「そうですね、今のアパートのキリのいいところで、早めに越してきます。」

「できればもう来月から来て欲しいねえ。もう部屋はきれいにしてあるんだから、空いてる時間で少しずつ荷物を持っておいでよ。何なら今夜は泊まっていきな。予行演習ってのもあるだろ。」

女将さんはとても嬉しそうにはしゃいでいた。ボクもそんなに喜んでもらえるなら、一日も早く一緒に住んであげられたらいいなと思った。

その晩、ボクたちは一旦部屋に戻り、着替えを持って食堂の二階へ泊まることとなった。

二階の部屋は三部屋あり、それを全て使っても良いということである。今日はプレ宿泊ということで、女将さんがすでに布団を用意してくれていた。

「よく来てくれたね。お風呂も沸いてるから二人で入っといで。大丈夫だよ、覗いたりしないから。」

ボクたちはちょっとドキッとしたけれど、「これからは二人で風呂に入る回数を減らさなきゃいけないね」と申し合わせた。

食堂の二階で寝る最初の夜、ボクたちは静かに抱き合った。

一階の親方夫婦の部屋は二階の寝室に当たる部屋の真下ではない。そのあたりは配慮してくれている。しかし、下の方から耳を澄ませている気配はしていた。

ボクたちはやや恥ずかしい思いでもあったが、いい意味でご期待に沿えるよう。静かに抱き合うことになるのである。

まだ蒸し暑い晩夏の夜。エアコンがなければ都会の夜は眠れない。

寒がりのユイと暑がりのボクは、互いの体温を交換しながら眠りに付くことになったのである。

月は今宵もユイの吐息を見守りながら、静かに街並みを見下ろしていた。

 

 

ボクたちの引越しは暑い最中に全てを終了させた。

元々荷物が少ないボクたちの部屋である。冷蔵庫以外は全て自分たちで運べたので、遅ればせながら到着したヒデさんは、親方特製の引越し蕎麦を堪能するためだけに来たようなものだった。

秋祭りの回覧板が回ってくるころには、ボクたちはすっかり食堂の住人となっており、朝ごはんも夜の風呂も洗濯も掃除も、生活の全てが親方夫婦と家族同然の暮らしぶりとなっていた。

さすがに夜の抱擁は大っぴらにやり辛くなっていたが、親方たちもかなりの気を使ってくれている。親と同居するってこういうことなのかと思い始めている。

住民票も食堂の住所に移したので、配達物は全て食堂に届くようになっていた。

そんなある日、ユイの実家から手紙が届いた。ボクとユイとへ連名あての封書であった。

ボクはその手紙をユイに渡した。ユイは封を開けて手紙を読んでいる。

「お義母さん、なんだって?」

「あのね。キョウちゃんの実家に挨拶に行きたいって。」

その一言でボクは青ざめた。親父がまだボクたちの結婚を、というかボク自身の存在を許してないからである。

「ある程度の事情はお母さんには話したわ。キョウちゃんのお父さんがまだキョウちゃんのことを許してないことも。それでも行きたいっていうからには、きっと何か考えがあるのかもよ。」

「どうしよう。お袋に相談してみるよ。」

なんだか嫌な予感がする。それでもユイのお父さんは懐の広い人だ。会社の役員まで務めている立派な人だ。その人が親父と会ってくれるなら、何か変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらお袋に電話をしてみた。

「元気か。ユイのご両親がウチの親父とお袋に挨拶に行きたいと言ってるらしいんだが、どうしたもんだろうな。」

「まだお前のことについては怒りが収まってないようだからね。それと、収める矛先が見つかってないからかも知れないし。」

「タケル兄さんはなんて言ってるの?」

「タケルはもう許してやれよって言ってくれてるんだけどねえ。」

タケルとはボクの兄で親父の後継者である。小さなころから頼りがいのある兄だった。先日の宇都宮帰省時にも兄とは面会できなかったが、何度か電話では報告していた。その都度親父の様子などを聞いていたが、いつも芳しくない返事ばかりだった。

「ボクは、ボク自身のこと許して欲しいなんて思ってないんだ。ただ、彼女と結婚することは認めて欲しい。それだけなんだけどな。」

「どうだろう、ウチの方からユイちゃんのご両親の家に行くように仕向けてみようか。」

「どういうこと?」

「ウチの馬鹿息子が迷惑をかけたって謝りに行くのさ。それなら腰を上げさせる理由も立つし、ご両親にも会える。申し訳ないと思ってるのは本当のことだからね。」

「任せてみるけど、ダメだったら連絡ちょうだい。また他の手も考えてみるから。」

ボクは一旦お袋に委ねてみることとした。

そのことについては翌日電話があった。

「父さんね、謝りに行くって。そういう責任感だけは人一倍だからね。いつが良いか日取りを決めておくれ。タケルがクルマで連れて行ってくれるらしいから。」

「わかった。ありがとう。また電話するよ。」

ボクはこの話をユイに相談してみた。

「謝りに行く?どうして?謝らなきゃいけないのは私なのに。」

「いいんだ。親父も揚げた拳の収め先を探しているだけだから、ウチのほうから謝りに行くっていう方が面目が保てるみたいなんだって。」

「ふうん。よくわかんないけど、その面談に私たちは行かなくてもいいの?」

「今のところは行かない方が良いみたい。ウチの兄さんが一緒に行ってくれるみたいだから、アニキに任せておいたら大丈夫だよ。」

「キョウちゃんって、周りに良い人が一杯いるのね。」

「その中の一番良い人がユイだよ。もうどこへも行かないでね。」

「うん。」

ユイがお義母さんと電話で話をしたところ、早速来週の土曜日に訪問が実現することになったようだ。

果たしてその結果、ボクたちのことについてどうなったか。

タケル兄さんとユイのお母さんがみんなを上手く執り成してくれたようで、ようやく親父の矛先も納まったようだと、後日タケル兄さんから電話をもらった。

その吉報を『もりや食堂』で受け取ったとき、親方も女将さんも随分喜んでくれて、その話をヒデさんに報告していた。

その報告を受けてすぐさますっ飛んできたヒデさんが、店に入ってくるなり、ユイに花束を渡した。

「ユイちゃん、おめでとう。」

ユイは不思議な表情をしてヒデさんの顔を見つめた。

「どうしたの?」

「だって、これで最後の不安材料がなくなったわけでしょ。これもみんなユイちゃんの努力の賜物だもの。だからおめでとう。あとは二人の式を挙げるだけだよ。その前祝いってとこかな。」

「うふふ。何だかわからないけど、ありがとう。」

ユイはもらった花束をいくつかに分けて花瓶に挿した。するとどうだろう、店の中が一気に明るくなったように華やいだ。

「キョウスケ、式の日取りはオレが決めてやる。今年の十二月のクリスマスでどうだ。」

「そんな稼ぎ時に店は休めないですよ。これでもクリスマスキャンペーンをやろうと思ってるんですから。」

「ははははは、それはやればいい。式は昼間に済ませて、披露宴を夕方からこの店でやるのさ。営業中に披露宴って面白くないか。店も繁盛するし、一挙両得じゃないか。」

すると女将さんが膝を乗り出して追い討ちをかけた。

「それは良いねえ。さすがヒデさんだねえ。折角店があるんだから、ここでやればまさに二人を披露する宴になるよ。でも式場は予約できるのかい?」

「できるんだな、それが。その代わりと言っちゃなんだが、ウチの会社の企画に乗ってもらわないといけないけどね。」

「ええ?何かするんですか?」

「ああ、神社業界と飲食業界との共同企画で、結婚式と出張パーティができますよっていうプランなんだ。クリスマスだと神社はヒマだから、プレ企画をしたいんだ。」

「ということは、そのパーティ会場がココってことですか?」

「そうだよ。だから、少しはウチが指定するスタッフと食材を使ってもらわないといけないが、それ以外はこっちでマネージメントできるよ。もちろん、式の費用もタダだし、食材もウチの会社が提供する。必要なのはキミたちの衣装代と新婚旅行の費用だけだよ。」

親方はヒデさんの説明の内容に反応する。

「スタッフがいるっていうことは、ワシもなんもせんでいいんかい。」

「そうですよ親方。店のオーナーとしてふんぞり返ってくれればいいんです。普段どおりの食堂の料理は必要ですけどね。」

「そいつは楽で良いな。ヒデさんに任せるよ。今までお前さんに任せたことで、上手くいかなかったことがないからな。ははは。」

ボクはユイのほうを振り返り、彼女の反応を様子見た。

ユイはニッコリと微笑んだまま、ボクの隣に来てスッと腕を組む。

「ユイはキョウちゃんが良ければそれでいい。」

そう言ってボクの顔を見上げた。

とうとうボクたちの結婚式は十二月の二十五日と決まってしまった。

 

 

 

#米倉氏からの新たな挑戦状

 

そして、まだまだ残暑厳しい九月の中頃、突然米倉氏から電話がかかってきた。

「恭介君かな、以前ウチでやったパーティイベントの第二弾があるんだが、どうだろう。今度は『織田』とのコラボで考えてるんだが。」

「また同じように料理を提供すればいいんですか。」

「いや、今度のは少し違う。あいつらも少々調子に乗っててね、料理対決が見たいっていうんだ。折角だからキミと『織田』の跡取りとの後継者対決っていうのも面白いと思ってさ。どうだい?なんなら他にもメンバーを増やしても良いけど。」

「いや、誰かと競うようなのはちょっと・・・・・。特段、自信があるわけでもないですし、圭太くんとも相談しなきゃいけないし。」

「ははは、そういうと思ったよ。だから『織田』には先に電話を入れてある。彼の了解はもらってるよ。是非ともキミと腕試しをしたいって言ってたぜ。」

ボクは唖然とするしかなかった。それでも即答は避けたいと思った。

「ウチのお店の都合もあるので、親方と相談して返事させていただきます。」

「いいとも。いい返事を待ってるよ。」

米倉氏はそう言って電話を切った。

眉間にしわを寄せたような怪訝な表情をしているボクに女将さんが心配そうに話しかける。

「どうしたんだい。何かあったのかい?」

「米倉さんから電話があって、今度米倉さんの店で料理対決のイベントをやりたいって。ボクと圭ちゃんの対決でどうだっていうんだけど、ボクはあまり気が進まない。『織田』にも電話してて、圭ちゃんは前向きなんだって。」

女将さんはその話を聞いて親方を呼ぶ。

「あんた、米倉さんがキョウちゃんに仕事を依頼してきたんだけど、キョウちゃんの判断でいいだろ。」

すると親方は目をキラキラさせて喜んだ。

「もちろんじゃねえか。もうこの店を切り盛りしてるのはキョウスケなんだから。料理を出すだけなんだろ?」

「違うのさ、『織田』の跡取りと対決させようっていう話らしい。」

「うん?だけどアッチはフライものしかないだろう。こっちの方が有利じゃねえか。」

「ボクは違うと思います。あの人がトンカツと肉じゃがの対決をイベント化するはずがないと思います。しかも、他にもメンバーいるみたいだし。」

親方は腕を組んでしばらく思案に入る。

そうこうしているうちに、『織田』の圭ちゃんから電話がかかってきた。

「キョウちゃん、ビッグニュースだよ。米倉さんから電話かかってきた?」

「ああ、聞いたよ。圭ちゃんOKしたんだって?」

「親父は挑戦して来いって言うし、それにキョウちゃんと競えるなら臨むところだよ。」

「ボクはあんまり乗り気じゃないんだけど。それにきっとトンカツと肉じゃがの対決とかじゃない気がするんだ。」

「それはそれでいいじゃない。どんなことができるか楽しみじゃん。ねっ、一緒にやろうよ。って今度はライバルになるけど。」

「もう少し考えるよ。ウチはまだ親方の許可も出てないしね。」

ボクはそう言って電話を切った。

ボクと圭ちゃんの会話を聞いていた親方は、組んでいた腕をほどいて、ユイを呼んでボクの隣に立たせる。

「今回、ワシは手伝わん。キョウスケとユイちゃんと二人で行って来い。勝った負けたよりも得る物があるはずだ。店のことはワシがやる。常連さんのメシぐらい、ワシとカカアでなんとでもなる。楽しんで来い。」

親方はニッコリと笑ってボクとユイの肩を叩いた。

親方の後押しの言葉をもらい、ボクは米倉氏に電話した。「やらせていただきます」と。

すると米倉氏はたいそう喜んでくれたのだが、テーマについてはもう少し考えてから連絡するとことだった。できるだけゲストのリクエストに答えたいというものらしい。

そのあとで『織田』にも電話を入れる。

「米倉さんの話、受けることにしたよ。親方に楽しんで来いって言われた。」

「そうりゃそうだろ。ウチの親父もお袋も楽しみだって言ってたぜ。終わったら、双方の親方衆に食べ比べしてもらおうな。」

「うん、わかった。」

 

三日後、米倉氏から電話が入る。

期日は二週間後、水曜日の夜。お題は「らーめん」。

近年外国人の間でちょっとしたブームになっている「らーめん」。これを日本食というのだから不思議な感覚である。本来中華料理に位置づけられるべきだが、日本文化の中に浸透し、姿形を変えていったものの一つであろう。てんぷらやカレーがそうであるように。

さあ、お題は決まった。ボクは店が終わるとユイと共にプランを考え始める。

「さあ、何から決めよう。」

「そうねえ。ウチじゃ麺を作ることはできないから、やっぱりスープじゃない。」

「じゃあ、スープは何をメインにしよう。外国の人はとんこつが好きだっていうから、クリーミーなものが好まれると思うんだ。だからあっさり仕立てよりこってり仕立ての方がいいと思う。」

「そうねえ。でもそれぐらいのことは圭ちゃんでも考えてるんじゃない?」

「ふうむ。」

アイデアなんてものは、そう簡単に湧いてこない。おおよその材料など、すでに世の中に出ているのだろうから。

おかげでボクたちは普段の仕事の中でも腕を組みながら考える時間が増えてしまった。ユイなどもぼおっとしていて、お客さんが入ってきたことに気づかない時もあった。

それでもある夜、乾物問屋のご隠居がいつものようにビールときんぴらで赤ら顔を楽しんでいた時、次の注文がユイの耳に響いた。

「そろそろ夜は涼しくなるし、ここいらでビールから熱燗に切り替える準備をしようかな。とりあえずはスルメとたらこを焼いておくれよ。」

ユイは自ら燗の用意をして、グリルでスルメとたらこを焼き始める。

「お待ちどうさま。でもご隠居大丈夫?こんな硬いするめを齧ったりして。」

「こういうのはゆっくりと齧るから酒も旨くなるんだよ。」

するとその瞬間、ユイの目が大きく見開き、ご隠居の肩をパンパンと叩き始めた。

「ご隠居さん、それそれ。いいこと思いついた。」

そう言い終らぬウチに厨房へと飛び込んできた。

「キョウちゃん、スルメ!これにしよう。」

ボクは何のことだかすぐには理解できなかったが、キラキラと光るユイの目を見て思い出していた。

「そうか、以前に鍋の出汁にしているのを見たことがある。よし、これを使ってウチのスープを作ろう。」

「ねえ、ヒントをくれたご隠居さんにもう一本サービスしていい?」

「もちろんだよ。ちゃんとお酌もしておいで。」

そういうとユイは急いで燗の酒をご隠居の元へと運んでいった。

あとはどうやって仕上げるか、ボクたちの試行錯誤は何日も続いた。そして約束の開催日まであと五日と迫ったころ、ボクたちのスープは完成した。スープは味噌仕立てで仕上げた。ウチの味噌汁で使っている味噌だ。その方が『もりや食堂』らしいかなと思った。それに焦がしバターと焦がしニンニクラー油をたらしてみた。

あとは麺とトッピングだったが、麺は極細麺をいつもの製麺所にお願いする。トッピングはやや多目のネギの上に焼きイカと油揚げをパリパリに焼いたものを乗せた。

完成したものを親方と女将さんに試食してもらうと思ったのだが、親方は首を振った。

「ワシが味見をするのは、イベントが終わってからにしよう。もうワシがどうこう言うもんでもないし。」

「なら、あたしもそうするよ。ヒデさんにだけ味見してもらえばいいじゃないか。」

これが親方の気遣いか。ボクとユイに一任する姿勢か。結局二人してイベントが終わるまで何一つ味見することはなかった。

その日の夜、女将さんから連絡を受けたヒデさんがやってきた。

「キョウスケとユイちゃんの始めての合同作品なんだろ?不味い筈がないじゃないか。」

そう言ってスープを、麺をすすりあげた。そしてあっという間に器は空になる。

「なるほどこれは面白い。好き嫌いは分かれるかもしれないが、多少のクセがあったほうが外国人向けかもしれないな。味噌味だし、コーヒーみたいにミルクを隣においておけば尚面白いかもよ。」

「そのアイデアもらってもいいですか。」

「そのためにオレを呼んだんだろ。それぐらいのことでパテント料要求したりしないよ。」そう言うとヒデさんは親方と女将さんの方を振り返り、

「勝ち負けは別として、いいものを考えたと思います。褒めてやってください。」

そう言って頭を下げた。

「ヒデさんいつもありがとね。あたしたちは、イベントが終わってから頂くよ。」

女将さんの目はいつもどおりに優しい目だった。

 

そしてイベントの日は到来する。

ゲストの人数はおおよそ十五人。用意するのは十人前。『織田』も十人前を用意すると、双方で二十人前になる換算だ。

圭ちゃんが用意した『織田』のらーめんはデミグラスソースをスープにしたものだった。いわゆるカレーラーメンではなく、ハヤシラーメンといったところか。トッピングはミードボールだ。かなり欧米人を意識したものだとわかる。

作りおきできない料理なので、手早く仕上げなければならない。さほど広くない厨房で二人一組が順繰りに一人前ずつ仕上げていく。圭ちゃんは相棒にバイトのベテランおばちゃんを連れて来ていた。そして手際のいい四人は、ほどなく十人前を仕上げていく。

会場では配膳された順に食べていく、十五人が十人前を食べ比べるのである。見た目は一瞬。写真を撮る人もいる。あとはたくさんの手が器になだれ込むようにして中身を奪い取っていく。そんな光景である。

作るのもあっという間だが、食べるのもあっという間だった。店が用意したイベントと初めてみるラーメンにゲストたちは大興奮だったようだ。

全ての丼が空っぽになり、参加者らは思い思いに感想を吐き出していく。おそらくは英語なのだろう、何を話しているのかさっぱりわからなかったが、みんなの顔は一様に満足げだった。

ボクはユイにお疲れ様と言って労をねぎらい、ユイはボクに終わったねといって笑顔をくれた。隣でその様子を見ていた圭ちゃんは、「まだ勝負が決まってないよ」と言ったけど、ボクとユイにとっては、もう勝ち負けなどどちらでもよかった。

その理由は、圭ちゃんと再び仕事ができたこと。ユイと二人で創作料理ができたこと。そして親方が良いというならば、二人で考案した食堂の新メニューができるからである。

会場では審査が行われていた。その結果、どうやら『織田』に軍配が上がったようだ。それを聴いた瞬間、圭ちゃんはこぶしを高く掲げて喜んだ。ボクとユイも素直に祝福した。

イベントが終了し、米倉氏が我々を見舞いに来た。

「よくやったね。イベントは大成功だよ。やっぱりキミたちは役に立つなあ。これからもよろしく頼むよ。これはとりあえずご祝儀ね。」

そう言ってボクたちに【大入り】とかかれた大き目のポチ袋をくれた。中には一万円ずつ入っており、どうやらまたしても米倉氏の店は予想以上に大もうけしたようだった。

 

翌日、米倉氏が『もりや食堂』にやってきた。丁度昼時だったので、ランチもご所望だ。

「うーん、今日は何にしようかな。かきあげ蕎麦と玉子丼の気分だな。」

「ご飯を少なめにしましょうか。」

ユイは気を利かせたつもりだったが、

「大丈夫。腹ペコなんだ。ガッツリ食うよ。」

「はい。」

いつものようにニッコリと返事をして、厨房の奥へと注文を届ける。

「ところでユイちゃん。先日の支払いをしたいから、食べ終わったら恭介君と親方を呼んでくれるかな。」

「はい。」

ユイはニッコリと返事をして次の客の注文を取りに走る。

予告どおりかきあげ蕎麦と玉子丼をガッツリ平らげた米倉氏は、食後の茶をすすりながらボクと親方の到着を待っていた。

その様子を見たボクは親方に声をかけて米倉氏のテーブルへ足を運んだ。親方は一応米倉氏への挨拶もあるので同席はしたが、ボクに一任しているからといい、黙って座っていた。

「いらっしゃいませ。」

ボクはありきたりの挨拶をする。

「やあ恭介君。先日のギャラを支払いに来たんだ。」

「ボクの方でも請求書を用意しています。」

そう言ってボクは用意していた請求書を渡した。額面は二万円としていた。

「ラーメンを十人前と出張費としていただきます。」

米倉氏はボクの提出した請求書を一瞥して、一瞬にしてくちゃくちゃに握りつぶしてポケットにしまい込んだ。

「これだから素人は困るんだ。ちゃんと適正な価格ってあるんだよ。オレが用意した出演料と材料費はこんなものだけどな。」

米倉氏は上着のポケットから一枚の紙を取り出した。上段には契約書と書かれてあり、額面は三十万円と書かれていた。

「米倉さん。冗談ですよね。こんなにもらう理由がありません。」

「ところがね、これは正規の価格なんだ。しかも勝負に勝った織田君にはさらに上乗せで支払ってある。今回は出演者としてのギャラだから、源泉徴収だって引いてあるんだぜ。ウチはちゃんとした会社だから、心配しなくてもいいよ。それに前回同様、あのセレブ達からは目ん玉が飛び出るほどのセット料金もらってるからね。」

「ですけど・・・。」

すると今まで黙っていた親方が初めて口を出した。

「米倉さん、ウチの恭介はそちらのお役にたちましたか?本当にお客さんに喜んでもらえましたか?」

米倉氏は意を得たように満面の笑みで応える。

「ご主人、ウチも客商売です。ウケが悪けりゃ商売あがったりです。客から文句があるようじゃウチは彼にクレームを入れに来ますよ。でもそうじゃない。今回もウチは思ったよりも多くの儲けが出たので、適正な支払いを適正に履行しに来たというわけです。」

「わかりました。キョウスケ、ありがたく受け取っておきな。ワシが出ろと言ったんだ。ワシが出した役者が評価を得たんだ、ワシの目に狂いは無かったってことだよな。ならば、その金額の評価はワシが評価されたも同じだ。これは気分がいい。」

「今回の対決では織田さんに軍配が上がりましたが、ウチのスタッフの評価では明らかにこちらのラーメンの方が評判は良かったです。やっぱり外国人と日本人との味覚は違うんでしょうね。彼の評価はうなぎのぼりですよ。もしよかったら週に何回かはウチで腕を振るってもらいたいと思ってるんですよ。」

「それは困ります。ワシの大事な跡取りですから。」

「はい。『織田』さんでも同じことを言われました。その件は諦めます。その代り、年に何回かこういうイベントに協力をお願いしますね。」

そう言って懐から分厚い封筒と領収書を取り出した。

「ここにサインと押印をお願いします。」

ボクはユイを呼んだ。

「今回はユイの発案が発端です。受け取るのは彼女が適役です。」

それを聞いて驚いた表情を見せるユイ。

「えっ?わたしが?」

「領収書のサインはワシがしよう。ハンコはキョウスケが押すんだ。」

そう言って親方は領収書のサイン欄にボクの名前を書いた。

「えっ?ダメですよ、書き直してください。」

「残念ながら恭介君、予備の領収書は持ち合わせてないよ。このまま受け取ってもらうしかないね。」

「キョウスケ、後で材料分だけ請求するから、後はお前たちのボーナスにしておけ。それと、今度ウチに『織田』の息子も呼んでラーメン祭りでもやろうな。」

「ごちそうさま。旨かったよ。そのラーメン祭りの日、オレも呼んでくれ。ウチのシェフも連れてくるから。楽しみにしてるよ。」

そう言ってまた颯爽と店を出ていく米倉氏。後姿がカッコ良過ぎるじゃないか。

 

後日、丁度ボクの誕生日が到来したので、パーティよろしく圭ちゃんを呼んで『もりや食堂』でラーメン祭りを行った。気の合う友人とたくさんのお客さんが集まり、にぎやかな誕生日パーティとなり、ボクにとってはすごくいい思い出となった。

でもこれが親方とにぎやかに過ごした最後のイベントとなった。

 

 

つづく