こんばんは。



やはり梅雨なんだなということで
こちらはビミョーなお天気で
たま〜ににわか雨が降る
基本的には曇りの日が続いています。



気候が変わって来て
今年は梅雨も短いみたいなので
いつ梅雨明けするのだろうと
既に気になっている私です。












私の実家は田舎の中でも裕福ではなく
それでも両親の堅実さと勤勉さで
私自身は生活に不自由さを感じることなく
育ちました。



祖母が暮らす母屋は広く
客間的な部屋もありましたが
私たちの家にはリビングなんてものはなくて
テレビがあるのは
両親が布団を敷いて寝る和室。



ダイニングキッチンはありましたが
簡素な裏の家を建てるまでは
それも土間でした。



母屋の板の間で
食事をしていた覚えもありますが
それがいつのことだったかは覚えていません。





そんな家の作りのせいもあり
子どもの頃からテレビっ子だった私は
食事が終わって片付けをしたら
一目散にテレビのある部屋へ行っていました。



昔は結構な雪が降る寒い地域だったので
ストーブとコタツがある暖かい部屋に
家族が集まるのも
あたりまえだったのでしょう。





今でも一人で家にいると
テレビをつけていることが多いです。



テレビを見なくなっている人が増えている中
なかなかの昭和感?を引きずっているというか
「テレビが友だち」の
年寄り的な生活というか?キョロキョロ







それでも昔ほどドラマには興味はなく
ドキュメンタリーや
知らない世界の人や仕事などの番組を
よく見るようになりました。



とは言え
ドラマもまったく見ないわけではなく
今期も幾つかのドラマを見ました。





その中のひとつが
杉咲花さん主演の
『アンメット』です。



脳に障害を負った脳外科医の話で
原作は漫画のようです。












ドラマは先日終わりましたが
最終話を今日見ました。



医療もののドラマは
ある意味「きれいごと」の内容が多く
現実離れしている部分も多々あります。



それでも
見ている人には「きれいごと」が
大きな意味を持つこともあると思います。





杉咲花さんや役の透明感もあり
このドラマも
「きれいごとの美しさ」を
感じさせてくれました。



そんな「きれいごと」で考えさせられたのが
加藤さんが記憶を無くしていく患者役をされた
ドラマの10話でした。







記憶を無くして行く大切な人の傍で
その人に自分の存在を忘れられていくのを
目の当たりにする辛さ。



それは
私を忘れてしまうだろう母の傍にいる
自分と重なる部分がありました。



けれど
それはこちら側にあるもので
あちら側にあるものは
あちら側にしかわからない。





今までは
自分が忘れられてしまうことばかりに
目を向けていたけれど
あちら側には「忘れてしまうことの不安」
がある。



認知症である母自身にも
それはあるのだろうと思いました。





亡き父がチラシの裏に書いていた
「もうどこへも行きたくありません」
という言葉。。



それもきっと
自分が忘れたりわからなくなっていることを
ふと感じて不安になって
心からの叫びとして書いたのだと思います。



けれど私たちには
そんな不安や哀しみを丁寧に拾って
気づいてあげることはできませんでした。












そんな父のことも思い出されて
また自分を責めそうになるのですが
このドラマにはキーとなる
「きれいごとの美しい」言葉がありました。



そしてそれは
そんな自分を責めそうになる私を
少しだけ救ってくれる言葉でした。





『自分の中に光があれば
暗闇も明るく見える』





デイサービスの日は
何度言っても
私が行くまでに着替えてしまう母。



その日の気温や天候で服を考えているので
着替えずに待っていて欲しいのです。



それをついブツブツ言ってしまう私に
「忘れてごめんね」
と母は言いました。







けれど
忘れることは悪くない。



忘れてもいいのです。



ただ
独りじゃないこと
いつでも助けられる私たちがいること
不安にならなくていいことを
覚えていて欲しいのです。





私たちがいること
助けられること
独りじゃないことが
『母の中の光』になって欲しい。



そんな「きれいごと」を
感じさせてくれたドラマでした。













ぼんやりとでもいいから
自分の中に光があれば
真っ暗な世界も
少しだけ明るく見えるのかな。



そしてその光で
傍にいる人が見る世界も
少しは明るく見えるのかもしれないな。





本日も最後までお読みくださり
ありがとうございましたニコニコ