こんにちは。


寝不足ながら
普段は見ることのない景色を
見られた一昨日のことです。




昨日も今日も
朝から笑えたことに
心からホッとしている
まるるんですお願い








30年ほど前。


祖母の49日のために実家に帰っていた時に
突然起きたお腹をえぐるような痛み。


それは大動脈解離によるもので
それによって私は
自分の生まれ持った身体の特性を
知ることになりました。




フィブラリン-1(FBN1)をコードする
遺伝子の範囲に起因するとされている
『マルファン症候群』という
遺伝子疾患であるということです。


その典型的な大動脈解離によって
その時は即入院となり
その後手術を受けて
半年間入院することになります。




それ以降も
何度か入院や手術を繰り返すのですが
自分の中では秋に入院している
印象があります。


実際はそうでもないのですが
自分の中で
「秋には何かが起きやすい」
と思うようになっています。






そして今月。


母の髄膜腫の進行と共に発作が増え
先週には姉が職場でぎっくり腰になり
何となくモヤモヤした気持ちでいました。




そんな中
事は起きました。










一昨日は週末で姉が休みなので
私は自宅へ帰りのんびりしていました。


そろそろお風呂に入ろうかと思っていたら
姉から電話がかかって来たのです。




これ
嫌な予感のパターンですタラー


そして電話の第一声が
以前、母が圧迫骨折で入院した時同様
「まるちゃん!お母さんがおかしい!」
というものでした。




すぐさま着替えて駆けつけると
意識が朦朧として視点が合わない母。


もちろん話せないし
手は雲を掴むような動き。


麻痺はなさそうだし
明らかに発作だとは思うけれど
突然起きあがろうとしたりもする。




姉によると
最初見た時は
泡を吹いていたという話。。


発作だとしても
明らかにいつもよりひどく
今は意識もあって呼吸は問題ないけれど
この後悪化するかもしれない。






この多動的な母の状態が
いつまで続くかもわからないので
すぐに姉に救急車の手配を依頼しました。




後から確認したら
私が姉の電話を受けてから
10分足らずで
119番に連絡していましたアセアセ


ということで
前回の圧迫骨折の時から
3ヶ月でまたお願いすることに救急車




状況をうまく伝えられない姉と
詳細を知らない私。


それでも救急隊の方は
どうにか理解して病院へ伝えてくださり
脳外科で受診している病院へ
搬送していただけました。










病院に着くと
そのまま母は救急治療室へ運ばれ
私たちは待合で待つことになります。


実は
救急車へ乗り込む直前には
母ひ姉のことを認識できたのです。


なので
そのまま発作が治まるかもしれないと
そんな期待もありました。




けれど
頭の中を巡るのは
悪いことばかりです。




胸を押さえていたので心臓に何かあるのか
このまま何もわからなくなった時
足腰は元気だから
果たして家で看られるのか。。


そんなことばかりを
考えてしまいます。


周りで待っているほとんどの方が
治療室の患者さんを待っているようで
その方々も患者さんのことについて
さまざまお話しされているようでした。






そうこうして2時間が過ぎた頃
ようやく治療室に呼ばれました。


恐る恐るカーテンを開くと
しっかりと目を開けてこちらを見て
ニコリと笑う母が。。


その時は安堵の気持ちで
思わず笑ってしまいました。




いつあの朦朧とした状態から
復活したのかは聞いていません。


なので
発作自体がどれほどの時間続いたのかは
不明です。




医師からの説明では
採血結果は92歳としては
びっくりするほど良く爆笑
心電図や心エコー、頭部CTも
異常はないとのことでした。


やはり
いつもより
発作がひどかったということでしょうか
と聞くと
たぶんそうだと思いますとのこと。


またひどい発作が出るようなら
早めに脳外科を再診してください
と言われました。




今回は慌てていて
履き物を持つのさえ忘れましたが
救急外来の自販機にスリッパがあったので
それを購入しました。


それを履いてもらい
パジャマのままだった母に
私のアウターを着せて
また歩けるようになった母を
横付けした車に乗せて帰って来ました。










発作の回数が増えていたことや
今までとは少しずつ
発作の形が違って来ていたことで
私たちもそれなりに心積りはしていました。


いつ何が起きてもおかしくはないと。


けれど
こうして何かが起きた「その時」は
やはりなかなか冷静に対応できないものだと
改めて感じました。




今回、救急隊員の方に
しつこいくらいに
意識のことや発作の状況を聞かれても
なかなか理解してもらえる説明は
できませんでした。


呼吸が止まったり
意識がなくなることの予期はしていても
実際にその瞬間には
思うような対応ができるかはわかりません。




仕事ではそこを冷静に対応できても
それとはまた違ってしまうのか?と
反省したりもしました。




それでも今回の経験は
また次のリスク管理に繋がるだろうし
とにかく大きなことにならず
良かったと思っています。






帰って来たのは夜中の2時前だったので
そのまま母はベッドに入り
いつも通りしっかり眠りました。


そして
次の朝にはまた
いつも通りしっかり食べ
いつもの「どうしたらいいの?」の
ルーティンが始まりましたチュー




夜はトイレの度に
起きるようにはしていますが
それでも常に母を見ていることはできません。


今回のことでまた気持ちが引き締まると共に
何かが起きた時に
自分を責めないようにしようと
思うようになりました。










ホッとした後に見上げた空は
お月様が優しく
こちらを照らしてくれているようで
何とも嬉しいようなありがたいような
そんな気持ちになりました。






…それにしても…

こういう事って

どうしてお休みの日に起こるのでしょうねもやもや













本日も最後までお読みくださり
ありがとうございましたニコニコ