こんにちは。


相変わらずうまく眠れず
朝早くに目が覚めて
それ以降は眠れない。



それなのに
目はショボショボで閉じて行く
取り急ぎ生活リズムの立て直しが必須な
まるるんですチュー










もうすぐお盆。


私の最後の手術の後にようやく
母が一人で暮らしたくないと言えたので
それ以降は
お盆もこちらで迎えるようになりました。


早いものでもう5年くらい。


最後の手術からは

11月で丸5年みたいです。



自分のことなのに

もはやいつどんな手術を受けたのか

ほぼ忘れてしまっていて(笑)

写真や手帳でどうにか思い出しています。



先日

同じ医師に同じような手術をしてもらった

おじいさんが入院してきて

「もうそんなに動けるの?」って思ったけど

写真を見返したら

自分は相当早くから動いてました(笑)





最初の手術から

来年で30年になるから

そんなもんですよね口笛







ところで

そう、お盆!



お墓はまだ実家にあるから

お盆前に行って

草取りやお墓掃除をして来ます。





実家では畑をしていたので

毎年たくさんの夏野菜を

仏様に供えていました。



でもこちらはマンションで

置く場所もなければ

もう自家野菜もないので

手に入る物でお供えをします。



晩年は認知症で

道を間違えることのあった父に

ちゃんとみんなを馬に乗せて

間違えずに帰って来るように言いながら爆笑











そんなお盆休みが近い今日

会いたい人たちが近くにやって来ましたが

仕事や家族の現状を鑑みて

私はその場は行かないことにしました。





不安ということではないし

自分なりの理由があるだけで

そこに何か

根拠があるわけでもありません。



専門家が提唱する

「科学的根拠」だって

現状でわかっていることの範囲内。



ただ現在の

「陽性者や濃厚接触者の

自宅待機期間やその定義」の中では

行かない選択をしたというだけのことです。







どんなことでもそうだけど

後からわかることって

たくさんあります。



そして

結局「真実」なんて

何ひとつわからないままのことも。。





社会の動きも世界の変化も

自然も宇宙も人の身体のことも

「今」どうかだって

本当のことはわからなかったりする。



そして

「今」わかっていることから

「現時点での」定義付けがされたり

未来のことを推測したりする。



だから

専門家が言ってるから

正しいわけでもなければ

それらに追随する必要はないと思う。



ましてやそれを

「真実」として

「断言」することは違うと思う。











はっきりしていることなんて

何ひとつなくて

自分の人生さえ

決まった道があるわけじゃない。





どんなに専門的な意見でも

その誰かが目で見て感じて

考えたことでしかないと思うのです。



多くの症例を見たり

それらを研究した結果でさえ

「事実」だとしても

いつかは「真実」ではなくなることもある。





だから

その人が何を信じてもいいけれど

それが絶対だとか真実だとかって

誰かに勧めることではないと思っています。



本も教育も誰かが言うことも

自分で確かめられないのなら

それは「真実」とは限らないことを

自覚しておく方がいいと思うのです。



そして

たとえ自分の目で確かめたとしても

それは自分にとっての真実にしか

ならないのでしょう。







文章を書くのって難しい。



断言するから伝わることもあるし

断言するから勘違いされることもある。



強く主張するつもりもないのに

そこに強さやひけらかしを

感じさせることもある。





自分が感じたこの感覚の

そのままを言葉に乗せられたらと

そんなことを思う今日です。




けれど

私の感じることはふわふわしてて

すぐに思考が働き始めるので

それはかなり難しいことですチュー



こんなの見つけたので

読んでみるといいのかなキョロキョロ









はっきりしていることなんて

何ひとつなくて

自分の人生さえ

決まった道があるわけじゃない。





だから

自分の人生は自分で創るしかないし

自分で責任を持つしかない。



それなら

自分の感情も腹の中にあるものも

なかったことにしないで

そのままの自分で生きたいな〜。











本日も最後までお読みくださり

ありがとうございましたニコニコ