先日、単発のアルバイトに行ってみた。

去年離職してから体調もだんだん回復基調にある気がして

まずは単発の体力寄りの仕事に挑戦。



久しぶりの仕事で、まず3日前から眠れない。

採用となった途端全身に筋緊張が走り

肩と首が強烈に凝り始めた。

去年、仕事を辞めた時前後の体感が再来した。

眠剤を連用しないと全く眠れない3日間を過ごし

自分の身体、こう来たか、と思った。



そして、当日、

なんとか1日やり通してお給料いただいたのだけど

もうなんというか、撃沈だった。



何が撃沈って

とにかく役に立たない、立てない。

体も頭もノロノロとしか動けない。

仕事を覚える、気を配る

のエネルギーがまず沸いてこない。

周りには優しい人たちと

私にイライラしている人が半々。

いずれにしてもみなさん

私よりはキビキビ、役に立っている。




大学を卒業してからこれまで

いろんな仕事をしてきて

いろんな職場を体験したけど

私は、ずっと役に立つ側だった(と思う)。



めちゃくちゃ優秀、有能ではないけれど

専門職の自負もあったし

仕事はそれなりに丁寧、勉強・努力もするし

人間関係でも揉めごとは起こさず

どちらかというと相談役、聞く係を自然と担った。



雇う側からすれば、役に立つ

結構ありがたい人材だったはず。

多分、だから、辞めるたびに強い引き止めにあい

夫の転勤で転居してしばらくすると

「こっちに転勤で戻ることはない?」と

再就職の誘いの電話がほぼ毎回鳴ってた。



そんなわたしが

役に立たないわたしになった。

日払いでもらった一万円弱のお給料に

申し訳なさを感じた。

その働きをしていない自分が不甲斐なくて

家に帰ったら涙が止まらなくなった。




役に立つ人間になりなさい



親に言われた記憶はないけれど

学校や偉人伝やいろいろな本や情報に接する中で

きっと無意識に取り組んできた強固な思想。



思想、そう思想なんだよね。

思想だから、真実ではない。

でも、思想を強く信じている人には

それが自分にとっての真実になる。

わたしにも、いつしか

それは真実なっていたのだな。



社会や他者や家族の「役に立つ」。



それは本当は

別にいいことでも悪いことでもないけれど

役に立つ人間を善、良と定義したら

役に立たない、立てない人間という

必ず存在する人たちは、罪…?悪…?

になってしまうわけで。

わたしも、だから、自分を、罪…?悪…?

と、勝手に自動思考して惨めになったんだ。




成田悠輔氏、犬山紙子さん、

同じ事言ってる。



わたしは、わたしの命に厳しいんだな。

その厳しさは、わたしを幸せにしてきたかな。

周りを幸せにしてきたのかな。

今さらだけど、わからない。