機能不全家庭育ちだった40歳。

現在、子供は9歳7歳6歳。



『虐待の連鎖を止めれる人』

それは気付いた『本人』からでしか、ムリ。

ということ。



『やめたい!!』と思わなければ、

体罰や叱責(自分にも相手にもやってること)を止めた未来に動けないし、

誰がやめたいって気付くのよ。



行動を振り返って


上手くいってないことをやめたり、

上手くいったことを増やしていったり、

上手くいくことを実行しないと変わらないし

誰が行動を振り返る?

誰が実行するの?

誰が上手くいったかいってないか判断して選ぶの?



自分の心の声を拾って最適化するのは誰?

誰が声をあげてて、誰が聞いてあげるの?



全部、『誰か』がすることじゃなくて

自分がすることでした。



人への恨み辛みを根に持つことを一番に

子供に教えたのは自分の親だと思います。


嫉妬で人の悪口を言って

劣等感で自分を蔑み、

人を軽蔑したり、あからさまに態度に出したり。


全て未熟な親から虐待の連鎖を引き継いできていると思います。



だからといって、

自分自身まで親のようにならないといけないのでしょうか?



親の悪い習慣をいつまでも親のせいにして

子供たちにも連鎖させて

いつまでも「人のせい」にするのでしょうか?



「親のせいでこんな苦しいんだ。」

そう思う時ももちろんありましたが、


『親と同じを選んでいるのは自分じゃないのか?』


そう思って親と同じ様に


人を強いたげたり、

劣等感、優越感、嫉妬、憎しみ、敵意で生きていたくない。



これからは


人に優しく、

自分の中の劣等感を指針にするのではなくて

人に愛情を向けること、

親しみを向けること、

人の良い面と付き合うこと

人は良い面と悪い面が半々なのにわざわざ悪いところを見るのはやめよう



【今までとは真逆の価値観で生きよう】


そう決めた二十歳のころを少しずつ思い出してきました。



今は出来ないかも知れない。

今すぐは出来ないかも知れない。


それでも、


コツコツと良い習慣は

積み重ねれば積み重ねるほど

自分の心の栄養になってきました。



目の前のことを自分でやらなかった時には

部屋も汚れ放題、散らかり放題でした。


まず、目の前の人によく言っている(気になること)を自分から少し片付けてみるだけでも

見える世界が変わっていくと思います。



目の前のことを自分でやる

自分のことは自分でやる


当たり前なんだけど、当たり前の基準って

心のバランスによっても

すぐに変わってしまうものなんだなと体感しました。



虐待を抜ける行動の一歩は

『目の前のことを自分でやる』

『自分のことは自分でやる』

ここからなんじゃないかな。


その前に『誰?』がやるのかに

気付いて決めるのが一番大事かも



気付いたら『自分でも出来るんだ!』と

ちょっとずつ自信が増えて

挨拶も相手に気持ちを伝えるように気持ちよく出来るようになってきたし、

人との関係がスムーズにいくように

なってきました!



今日も小学校の旗当番だったけど、


以前ならだるそうに人にも挨拶すらまともに出来なかったです…。


今日は、うちの子供の友達が顔を覚えてくれて手を振ってくれたり、子供たちが元気に学校に向かう姿も見れたり

挨拶も子供たちが気持ちよく安全に学校に行けるように出来たと思います。

誰も誉めてはくれないけど、

挨拶がしっかり出来ると誇らしい気持ちになります


習慣は変えられる

自分の意思があれば