行動に重点を置いているから
視点が違う?

他人からどう思われるかよりも
自分がしたいかどうか直感で決めてるから
視点が違う?

ずっと、
なにをどう変えて一度目の人生が変わったのか?
わからなかったけど、ちょっとずつ見えてきました。


自分を否定する
他人を否定する
復讐する
恨みを持つ
執着する
許容し続ける(許容して「いいよ」「いいよ」ばっかり言ってた)
決めつける
謝らない
許しを与えない
賞賛を与えない
愛を与えない
尊敬を与えない


家族のなかで傷ついて無意識に選んできたことがあるからこそ、
無意識に選ぶものを“今”は変えています。


自分を認める
他人を認める
復讐しない
恨みを教えない
執着しない
許容しない(「そうなのね」って受容はOK)
決めつけない
謝る
許す
賞賛を与える
愛を与える
尊敬を与える



結局、自分が『やりたい』と思ったら自分で勝手にやってる
(私はその内発的動機を高めるのが得意。だから外発的動機(ご褒美とか)には興味がない。)



思い返せば
できてない人を強烈に否定してました。


友人に「なんでそんなに子育て楽しそうなの?」と聞かれたときから


「なんでそんなことも出来ないの?」って


出来ないことを『悪いこと』だと思ってました。



違う、出来ないんじゃなくて

やるかやらないか選ぶのは自由だし、
見えてないから出来ないこともあるし、

現状に何かしら満足してるから必要がないのかもしれないし、

どちらを選ぶのも人の自由だ。




ただ、私はそのために行動を整えてきた。

やることやって自由にする
やることやって信頼関係のなかで自由になりたいから受容はするけど、許容はしない。

文句を言わずにすぐ動く
文句を言わずにすぐ動くことで他人のせいにする考えとは無縁で過ごしたいし、直感的に自分の感じたことを実現するために行動することを大切にしたい。

文句を言う前にやってみるから、具体的に何が嫌なのか?何をやりたくないのか?自分の気持ちなのか?行動の効率化に繋がることなのか?見えてくるから
文句やクレームは実際に動いた後にしか言わない。

だから、失敗は現状をもっとより良いものにするためのスパイスくらいに捉えることが出来る。

人のために何かをしない
全ては自分のために自分で行動する。
(人のためと言い続けてるから依存してしまうし、出来ない前提で能力を否定することにも繋がってしまう)
誰かが幸せにしてくれるのではなくて、自分が幸せを選ぶから幸せになれる。
自分が行動するから現実になる。
自分が勉強するから賢くなる。
自分が掃除をするから家がきれいになる。

自分が動いて叶えるから、
相手が今出来ていないことのアドバイスが出来る。


直感を大事にする
心の声を無視しない。自分が直感で感じる無意識には自分が幸せになるためのヒントやスパイスが沢山入っているので、嫌な気持ちも嬉しい気持ちも無視しない。素直な気持ちを大事にしたうえで、ばか正直にはしない。



自分自身の人生(行動)に責任が取れる人には
自然と尊敬や尊重がついて回るのを知っているから

自分を認めるために
自分が好きな自分でいるために

傷付いてきたものを意識して癒して、
自分の行動を整えて、
自分の思考を整えて、

すべての調和を図って
“今”を生きてる

だからこそ言うことが出来てたのは
「何を言われても関係ない」
「私がやりたいからこれでいい」
という言葉を
自信と確信もって言えてましたね。


結果は結末でしかない。
結果を期待せず、自他の内発的動機から出た行動の楽しんでいる。結末はただのオマケ。
だから、失敗してもいいし、成功してもいい。
どちらにしても楽しいから。



無意識に与えるものを選べるのは“親”という立場だっり、“上司”だったり、先に生きてるからこそ出来ること。


どうせなら良いものを与えて生きたいものだなと今だから思えます。



私には嫌いなことがあります。
※色々と失敗したからこそ、わかる。

①なにもしない
②貧乏性(人になにも与えない)
③人をバカにする
④夢を見ない
⑤なにも叶えない
⑥常に不平不満


失敗したからこそ(しつこい、笑)
①常に自分の直感で行動し
②人に多くを与えて
③人を尊敬し
④沢山の夢をみて
⑤常に夢を叶えるために努力をして
⑥常に行動する

善いサイクルに入ってきたから
凄く充実しているし、凄く幸せでいられる。


悪循環が悪いのではなく、ただのサインだとすると
負のループから抜けるために整えるものがわかれば自然と行動できるし
行動が変われば結末は必ず変わる。
結末が変われば、過去は変えられる。
過去は今に関係ない。
未来は今に繋がっているけど、

想像するより行動を楽しむほうが何倍も楽しいから
結末は素直に受けとるだけでいいと思う。



「なんでそんなことも出来ないの?」って
出来てないことに目を向けるって、出来るようになりたいからそっちを見るんだろうけど

私は『出来てないこと』に目を向けて、おもいっきり自分も相手も否定してたなと思います。

誰かを変えたいと思ってたから自分のことが見えなくなって、家族や周りの人のせいにも沢山してきました。


やるかやらないか選ぶのは自由だし、
見えてないから出来ないこともあるし、

現状に何かしら満足してるから必要がないのかもしれない。


現状に本当に満足してるのか心の声を聞いて
現実を見て
私が『やる』ほうを選んだから現実が変わったんでした。

家族関係を克服するために努力した
無責任な自分から逃げるのをやめて前を向いた
言い訳ばかりの自分に飽きて前を向くしかなくなった
コツコツコツコツ行動を整えた

なんか、色々と努力したけど

結局、自分がやりたくてやってることは努力に感じないから

『なんか知らんけど人生が好転した』

っていう、無意識を一生懸命言語化しようとして

友達に『なんでそんなに子育て楽しそうなの?』って聞かれたことへの回答を探してきたけど


簡単には無理でした(笑)




『自分がやりたいからやってる』

人へ影響をどうやったら与えられるのかとか考えて、『友人も同じ様になんでならないんだろう?』とか
凄く押し付けようとしていた自分が居たのも事実。

でも、実際は『じぶんがやりたいからやる』
ほんとシンプルに今やってるのはそれだけ。


なんだか今日は3時から起きて思考がグルグルしてたのでまとまりないな~(笑)



虐待家庭だろうが機能不全家庭だろうが
私は本当にこの学びを得たことに感謝して
私の家族で良かったと思っています。


失敗したからといって
これから全てがダメな訳じゃないし、
失敗してるからといって
これからも失敗し続けるわけでもないと思います。


「自分は…どうしたいんだろうね?」
これに尽きます。