誉める育児ってよく巷で、もてはやされやすいですね。


“誉める”って良いと思い込んで育児してた一人です。


※ここから前置きがめっちゃ長くなります


周りの目を気にせず子供が伸び伸びとして、


「生きていて良かった!」

「毎日楽しい!」


と子供自身が思えるような育児をすると決めて

長女(小4)の時には育児していました。(4歳くらいまで)



その時には自分の中から出てくる

『やってみたい!』

『出来るようになりたい!』

『面白そう!』

を大事にしていて、



学習ソフト『天神』(パソコンで親子や一人で学習できるものがあって)さんが楽しくて

〈勝手に勉強を頑張る習慣づけ〉は天神さんでお世話になりました。



うちの子供も私も

やりたいと思ったら勝手にやるんですよね。



子供が「めんどくさい」のはやりたくないのではなくて、やり始めにエネルギーがかかったり、習慣で「めんどくさい」と言っていると思います。



天神してた時は、『文句を言わずにすぐやる』が出来てたので


楽しいまま初めて、やってる時も楽しいし、文句を言わずにやめる時にはスパッとやめて次へ動けるし、

良い習慣ついてたのに、やらないと意味なくなりました( ´-`)


「失敗(不正解)しても当たるまでやってごらん」と言っていたので、失敗することが当たり前で


失敗も経験するから、

間違えることが怖くなったように思います。



それが、幼稚園入る前~年少くらいのまでの話。



幼稚園に入ってから

自分の中の『やってみたい!』を大事に出来る幼稚園に入ったのですが

そこまで深く選んだわけじゃなかったけど、結果的にそんな感じの園でした


自分のやってみたいことと

集団のやることの落差に対しては免疫がなく


母も集団行動が苦手で魂が抜ける


年少さんのときは


仲良くなりたい家族と仲良くなって

仲良くなりたい、大切にしたい友達を大切にして


年少さんまでに物の扱い方を

きちんと“しつけ”していました。

物の扱い方は親の躾次第ですね。


幼稚園入る前ほど、スッと聞いてくれます。

「物は投げずに、そっと置いてね」って言ったら素直にやってくれます。

※親が言わずに出来る子はいないです。親の物の扱い方も子供はよく見てます。



人付き合いに関しても「やりたいことをやる!」だったのでそりゃまぁ楽しいですよねニコニコ


問題は集団行動。


長女、幼稚園の運動会から一人で走らず、

先生に抱っこされての完走。


それから毎年、一応楽しそうに運動会に参加してるようなしてないような?


やりたいことをやってる時とは裏腹な

表情、態度


集団を悪い風に私も捉えてたので

まぁ、『やらされてる』感満載ですよね。

親の考えが子供に移りましたね




集団に属することが悪いことじゃないと最近は思えてくるようになりました。


『(幼稚園や小学校が)認めてくれてここにいる』

と思うようになったし、

認めて無かったら出ていってくれって言われてますよね


集団の中で能力を自然と発揮することが将来仕事をする時にも繋がってくるし、

職場で『やらされ感』でダルそうにしてる人と

自発的、主体的に自分で考えて自分で行動を選べる人と


どっちに仕事を任せるかっていったら後者ですよね。



人目を気にせず集中したり

成果物(図工とか友達とか)を得る良い機会かなと捉えるようになりました。



私が小学生の頃は


人より上手に絵を描けるとか

人より上手に字が書けるとか

人より上手く泳げる

忘れ物を(=悪いことだから)絶対しない

常に人目意識


親から人を基準に成果を求められ続けてたような気がします。

親が劣等感の塊なので今さら仕方ないですが



成功のハードルが高すぎなければ

学校にも色々な『出来た!』があるはずなんだなと

最近思えるようになりました。

長女小4にしてやっと…。



長女が小1の頃に

音読を上手に読み上げていて


先生から「○○ちゃん、音読上手だね~!」と先生から誉められたのをきっかけに


上手に音読するのを止めましたガーンガーン


それは私自身がそのときに劣等感だらけで

人の言葉を受け入れられなかったし、


劣等感があるから、『劣』の部分しか信じられ無かったんですよね。


考え方が親子でリンクするのは

人には見ているものを無意識に真似る性質があるからしょうがないのでしょうね。

親がバカなら子もバカです

子がバカなら親もバカです

結局、似た者同士だから激しく喧嘩してたし、

レベルが下がりすぎてました。




それでも 

誉めてもらったり、認めてもらったりするのは

自分では気付かないところに目が行くのが良いところだと思います。


先生にもリクエストで「出来ないところより出来るところ、出来るようになったところを教えてください」と毎年お願いしてるのですが、


自信がないときほど

意味がないように感じても

『出来るようになったことに目を向ける』というのは


必要なことだなと実感しています。




『誉める』育児は

相手が受け取り拒否したら、かえって逆効果になりました。

できるかできないかで『判断』されてると、かえって人目をきにしたのかなぁ~?



子供自身が受け取ってくれるなら

伸びる能力、本人が伸ばしたい能力なのかもしれませんが、

本人が認めないことには伸びない…。



それよりも日々の『出来なかったことが出来るようになった』とか『出来るようになったこと』を見つけていくほうが簡単で楽でした。



『今、出来なくても大丈夫なんだな』という安心感と、

『出来るようになった』この中には本人が本当にやりたいことが含まれているんじゃないかなと感じます。



集団生活を送るなかで躾の部分が疎か(手抜き)になっていたので、

まずは自分がどう人として在りたいか


『自分も人も尊重して大切にしたい』

今までが自分も人も尊重出来なかった・されなかった状況で

それは嫌だと強く反発して

親に怒っていたので



だからこそ、今出来ないことよりも

今から出来るようになりたいこと、

子供に出来るようになって欲しいこと


自分の基準の引き締めにかかって行きます。

まずは人の扱いの前に物のの扱いを見直します!

靴を揃えるとか、物への丁寧な扱いを小さなことから自分が出来るようになりたいです。



子育て前に

私が社会人になってから親からの反面教師で

大事にしてたのは

  • 物の扱い
  • 人の扱い
  • 自分の扱い

“扱い”を出来るだけ丁寧に過ごすことでしたね~。

すっかり忘れてました。