最近、怒ることが悪いことじゃないと思えてきました。


それは約束を守るためだったり、

自分を守ったり、相手を守るために必要だなと

自分で納得して怒ってるから

善悪よりも自分の気持ちを表現して伝えるために

怒ってる感じです。



 約束を守ってないとき

 自分のやることを自分でやらない時 

相手にも怒るけど私がやることやってなかったら、私もちゃんと謝ります。



子供とも、

お互い様と思えるようになってきました。




 以前は? 


 自分の機嫌が悪い時

 自分の都合が悪い時 

悲しい時 

パニックになってる時 

なんかわからんけど、目の前で問題が起こった時



何が自分にとって〈必要なやること〉なのかわからなくなってたし、

無駄に色んなものを抱え込んで凄くしんどかったし、

フラッシュバックで子供時代を思い出したら

感情や身体の感覚が無くなってしまって…。


それだけ、『辛い』と感じてたことを

我慢してたんだなと思います…。



身体って脳からの電気信号で動いてるから

感情や身体の感覚が鈍くなるのも

フラッシュバックになった瞬間に

コンセントを抜いたような

電気がプツッと切れた感じで



それまであった感情や感覚が無くなって

『あれ?人の気持ちがわからない。自分の気持ちもわからない…。』と

フラッシュバック直後に

パニックになったのを覚えています。




それから自分の行動を見直して、

不幸が立て続けに起こってこれはまずいと思って




責任(最初から最後まで行う。途中で投げ出さない)

自立(自分のことは自分がやる)

自律(文句を言わずにすぐ動く)


信頼(約束を守るのが当たり前)

信用(責任・自立・自律の元に行動をするのが当たり前)

素直(優越感、劣等感で判断しない)

実直(ひねくれた要素が一切ない)




虐待家庭(うちは言葉からの精神的虐待でしたね)、機能不全家庭では一切無かった

責任・自立・自律を見直しました。

仕事に一生懸命打ち込んで見えたのが、それまで見えなかった『責任・自立・自律』でした




無責任

他責

文句、言い訳、逃避


↑虐待家庭はこっちで生活してるから虐待なんだと思います。



だからといって、

親を責めたいわけでもありません。



親は気付けなかったけど、

私は(親に反抗的だったから余計に)気付けた



ただ、それだけの違いだから



私が偉いわけでもないし、

親が馬鹿なわけでもないと思う。



私は何十年も辛かったり、

不幸なのは耐えられないだけで(笑)

飽き性なんで(笑)



脳と身体は電気信号だから

一度プツッと抜いたコンセントや切れた回路も

無くなってる訳じゃなかったです。



一応、あるんだね。


感覚は大小あるだけで

無くなってなかった。



基準が違うだけで

『怒ってもいいんだ』と許せたのは

結構、私のなかでは大きい変化でした。

無理をして抑え込むストレスがゼロになったんで