人の話を落ち着いて聞くことが出来てた時って
どうだったかなーと思い出したら
聞くばっかりじゃなくて私も
〈聞いて欲しいことはしっかり聞いてもらう〉
ということをやってました。
聞いてもらって何を共有したいかがハッキリしてたな、と。
楽しいと思ったこと
悲しいと思ったこと、
イラッとしたこと
怒ってること、
喜怒哀楽全て共有させてもらってたな。
これが出来るから
相手の話を喜怒哀楽で共有することが出来てたな~、と思い出しました。
“共有するのが目的”だから
否定しないし
やんわり示唆を要れることはあっても
頭ごなしに何か言うつもりもないし、
最終的に笑い話に出来たり、
相手の価値観を知ることが出来たりして
その価値観を元に
お互いに苦手を補ったり、
得意を活かしたり。
ということを自然とやってましたね。
通りで、
相手の話を聞こうと思っても話が聞けないわけだ(笑)
そもそも、聞こうと思って聞いて無かった!
最近、旦那さんに喋りかける頻度がグッと増えました(笑)
虐待になってる時はイライラしてるところに話しかけられるばかりで、余計に私がイライラして話さなくなるっていうループでしたね。
「どんだけ話したいことがあんねん!」と
最近ツッコまれました
感情の共有が出来ると
相手の価値観や信念を元に
話が出来るのが好きだったなと。
相手の状況(機嫌や忙しいか忙しくないかとか)やら見て
隙を見つけて話しかけるのは
今まで親の顔色や人の顔色を伺って生きてきたので
きっと得意分野だと思います