バカにされるのってイライラしてる時とか、

余裕がない時には


渾身の一撃かっていうくらいに


一瞬のうちに

自尊心を傷つけられた怒りが混み上がってきますよね。



虐待になってるときは


受け流すだけの余裕がなくて

常に反応、常に怒り、常に余裕無し

ずーーっと怒ってましたね。



子供に諭したいのに

そんな時に冷静に判断して

「何をどうして欲しい」とか言えるわけもなく…。



ぎゃーーー!!っと怒って

がーーーーっとなって

またぎゃーーーっとなって


すんごいカオスでした。



泣いてる子供は悲しいから泣いてるのに「うるさい」とか言ってみたり、

子供は楽しく遊びたくて家で騒いでるのに自分の都合を押し付けて「うるさいから騒ぐな」といってみたり、

家に人が来るから生活感を消したくて、家族の存在を消そうとしたり…。



最近まで

バカにされるのが当たり前で

バカにされたら怒るのが当たり前でした。



“自分自身が他人をバカにしてた”から。


全然気付かなかった。



真面目に働いてる人をバカにしてたし、

くそ真面目な人をバカにしてた。

お金を持ってる人をバカにしてたし、

お金が欲しいって言ってる人もバカにしてた。

ばか正直な人をバカにしてたし、

何かが出来ない人をバカにしてた。



ちょっと最近は自分のことも他人のこともバカにしていたことを認められるようになってきました。



そして、「ごめんなさい」と謝罪の気持ちが出てきました。




それでも簡単には認められない部分、


一番認めることの出来ない部分、

やはり“親”ですよね。



認められないし、

認めてくれないし、

愚痴ばかりだし、

文句ばかり、

悲観的だし、

ずっと喋ってるし、

劣等感だらけだし、

すぐ否定してくるし…。



認められない部分って

無意識に認められないから

凄く反応として“怒り”になりやすい。


そして、そんな部分が自分には沢山あると思うと嫌いな部分ばかりが目について

また悪循環でイライラする。



だから虐待の時は


怒ってばかりの自分に嫌気もあって

自分が怒ることを認めてなかったから


余計に抑えて抑えて抑えて爆発になって


悪循環から抜け出せなくて

また爆発して


って繰り返してました。



ちょっとマシになったのは

『怒ってもいい』と思えるようになってから。



『~したらダメ』って禁止したり、自分の気持ちを抑えたりっていうのは本当に心の健康に悪いなと思います。



自分のことをどう思って言ってるかなんて自分では意識してないけど、

『ダメな自分』の前提では全てを認めることができなくなりました。



思い込みって怖いなと改めて痛感。


どんな自分でも

今まで生きてこれたんだし、

これからは違ってもいいのに


フラッシュバックしてからの私は

自分に『ダメな自分』を貼ってました。

気付かぬうちに。




何がダメなのか

今までの親の言動で

「あんたはほんと何にも出来ない」とか

「使えない」

「バカだから」

「勉強出来ない」

「○○出来ない」

「可哀想」


そんな親の声掛けで自分のことや自分の能力を縛ってきたけど、


どれをとっても、


親の中の『勝手な私のイメージ』を生きてきたことがわかりました。


親の言葉に根拠のあるものも無ければ

未来を期待するものもない。



私は実家から出て就職して


私のやりたいようにする中で

反抗すればするほど

“親のイメージ”と“私自身”の違いがハッキリとしてきました。



親のイメージ通りの言葉を生きることが無駄に思えました。



だから、“自分の生きたいように生きる”と決めた。



それからは初めての就職の時に

理想の上司とは真逆の人にも出会ったし、

理想的な人とも出会ったし


どちらになりたいかというと、


私は『理想の上司が居ないなら私がなればいいんだ』と思って理想の上司になることを選びました。



その中で

人に尊敬されるにはどう工夫しようか?

人と信頼関係を構築するためには私は何ができるか?

どんな上司なら何でも相談できるかな?


と色々と考えて

私は『ダメな自分』から『親しみやすい上司』のイメージを選ぶようになりました。



自分のイメージが変わると

今まで許せなかったものが


あの人ならこう考えるかな?とか、

デールカーネギーならこんな言い回しをするかも


と考えるのが楽しくなっていきました。


上手くいったり、失敗したり。

でも、理想の上司になりたかったから

試してみたことが楽しかった。

試行錯誤することが楽しかった。



私が楽しいと思えることを選んだから

楽しいことが見つかって

行動が変わるから周りの反応が変わるということを経験しました。


親のイメージで生きて

辛い、悲しいことを探して

私の人生は不幸だと思い込んで

「死にたい」と思っていたのは

親の頭の中を生きてたからでした。



今出来ないことを一つ一つ出来るようになっていく過程で


少しずつ、認められることが増えて


感覚が変わって


見える世界が変わって


そうしたら、ふと親のことも認められるようになりました。



アンドリューカーネギーの成功の黄金律

『自分がして欲しいことはまず他人にそうしてあげること』



これを実践し続けていたら


私は人から認められたいから

人を認める


私は尊敬されたいから

人を尊敬する


私は満足感が欲しいから

相手と過ごすことを私が満足する


私は恨みを買いたくないから

礼儀正しくする


私は安心したいから

人と居る時を安心して過ごす


私は人と長く付き合いたいから

誠実に付き合う


私は私で居たいから

相手を無理に変えようとしないし、コントロールしない



世界が変わった。


その中では人をバカにする必要もないし、

バカにされることもないし、


不安や猜疑心、疑いや不信感とは無縁になりました。




簡単には認められないけれど、

今の自分の気持ちや

今の自分は何が欲しいのかを認められると


少しずつ認められる部分が広がった気がします。




フラッシュバックになって出来なくなったことをもう一度するのに

二度目の方が怖じ気づいたり、変わることへの恐怖が邪魔をして素直に変われなかったけど、


【自分は変わっていいんだな】と


今は心から認めることが出来ます。


そして、子供たちが思いどおりにならないことを責めるつもりもないし、もうバカにすることもありません。


もっとよい方法で

習慣を引き締める方法がないか

模索中です。