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【神馬 彩 Official blog】彩~いろどり〜

心と体を扱う表現者として、生きるということを、
ありのままを、飾らずに綴っていきます。
Since 2011〜


あやです赤薔薇



皆様にご報告です。


8/23に10回目の投薬を終えましたが
本来12回投与の予定だったところ
この10回目の投薬を最後に
抗がん剤治療を終了することに致しました。


主治医とよく相談した上での決断です。


以前にも記事に書かせて頂きましたが
理由としては

毎回必ず出てくる副作用の吐き気に
耐えられない身体になってきてるのを感じたこと

がん細胞の存在を確認する中間PET検査では
4回目の投薬が終わった時点で
綺麗になくなっていたこと
(先日、改めて画像を見せてもらいました)


果たして身体に負担をかけてまで
治療を続ける意味があるのか


疑問に思い、主治医に相談したところ


PET検査では目に見えるがん細胞の有無は確認できるが、目に見えないサイズで潜んでいるがん細胞までは確認できないので、引き続き念押しの為に投薬し続けることが多いということ


ただし、今辞めたところで再発のリスクが
上がるかどうかのエビデンスはないということ。


10回でやめて再発した場合は
12回やっても再発する可能性が高いということ。


もしかしたら1割くらいは
辞めたことによる影響あるかもしれないけど
ほぼ影響はないでしょう、とのこと。


これを受けて私は
10回で終わりにする決断をさせて頂きました。


この選択がよかったのかどうかは
いますぐには分かりません。

これから先にどんな運命が待っているのか
私には想像もつきません。

それでもこの日の選択を含めて
受け入れて生きていく覚悟の上で
選んだつもり。


誤解なきようにお伝えしたいのは
抗がん剤のイメージを悪くしたいわけではないのです。

私は抗がん剤のおかげで
がんが綺麗になくなったと思ってるし
治療前よりも遥かに元気になっていることを実感しています。


ただ積み重なる治療に
私の心身が耐えられなかった。



もしかしたら最後の最後で
10回目で辞めるという決断をした私は
弱い人間なのかもしれません


そもそも最初は投薬が
月1ペースで6回で終わると思ってて
蓋開けてみたら
2週間に1回のペースで12回ときいて絶望した。


こんなんコンスタントに
休みなく12回やるなんて無理よ。
そんなに強靭な心と身体してない。


今も治療してるみんな、本当に頑張ってる。
えらい、偉すぎる...



看護師さんが仰ってた。

この治療は本当に辛いから診断された段階で
治療をしないという決断をする人もいれば

中間PET検査で消えてることが確認できたら
もうそこで中断する人もいるし


人それぞれの選択があり
人それぞれの真実がある

だから
ダメな選択なんてないんだよ、と。



再発が怖いことには間違いありません。


どんな運命になるのか
なにを選ぶのが「幸」なのか
わからないけど


一つ信じてみようと思ったのは


これからも小さな選択から大きな選択まで
絶えず選び続けていくなかで

上手くいくこともあるだろうし
間違えることもあるだろうし

運よく成功することもあるだろうし
後悔することもあるんだと思う。


また辛いこと、
もしかしたら、今以上に辛いことも起こりうる

だけど、どんな運命でも
紆余曲折ありながらも受け入れる強さを
私は持っているんじゃないか


そう信じてみることにしました。


綺麗事に聞こえるかもしれないけど
自分への誓いのようなものです。

私なら、大丈夫だよ、って。


現在、復帰に向けて
心身を整えていく時期に入ってる感覚です。


ここからは暫く通院しつつ様子をみて
最終的な検査があるのが10月2日の週

そちらの結果を持ちまして皆様に改めて
寛解報告ができることを望んでいます。



ひとまずは一時休戦というところで
たくさん頑張ってきた心身を労わりつつ
この先の明るい未来に目を向けていきたいです。


改めまして
皆様のお力…
それは金銭的支援もそうですし
たくさんの贈り物
心に寄り添うお言葉
会えた時には共に過ごす、その時間も全て
皆様のお力がなかったら
今日まで来れていないです。

本当に本当にありがとうございます。


私はこの先
誰よりも私自身と
私にとっての大切な人たちの
喜びのために生きていきたい。


引き続き、この生きる姿を
見守っていて下さったら嬉しいです。



神馬 彩より、愛と感謝を込めて。




彩ですクローバー



今の本当の気持ちを吐露させてください。


かかりつけの病院に併設されている
がん支援相談センターに行ってきた。


がんを宣告されてからここまで約5ヶ月間
現在9回の投薬を終えたところですが


ここまで1回1回の治療の度に
しっかり副作用に苦しみ

病を通して色んな人の色んな意見や
多種多様な情報に触れ

今日もまた1人の若い命が
がんを闘病の末、散っていくのをみて


この世の中に溢れていること全てに
懐疑的になってしまったら果てしなくて
なにが真実なのかわからないです。



だけど一つ言えるのは
ここまで走ってきて
心身ともに疲弊してしまっているのか
治療に対して心が折れかけてしまっている。


残り3回で終わる(であろう)治療も
できることなら、もう1回もやりたくない。
もう二度と、こんな目に遭いたくない。


1回1回が地獄のようだから。


副作用が抜けてきて
体調が上向きになってきても
時々、あの気持ち悪さ
あの薬のにおいを身体が思い出しては
どうにもスッキリしない日々。



医学の歴史やエビデンスに基づいて
必要で、最適な、治療を行っている
(それが一人一人に本当にあっているのかはわからないけど)


標準治療(抗がん剤治療)以外にも
様々な治療法が提唱されていて
どれもこれも聞こえはいいが
併用することも、切り替えることも
身体にどんな影響が及ぶのかわからないので
おすすめはしないと

相談に乗って下さった看護師さんは仰る。


「もう二度と出てくんなよ」の念押しであり
もう二度とやりたくないからこそ
決められた投薬を
最後までやりきることが大事なのだと。



あまり考えたくはありませんが
もし再発してしまった時に
途中で投げ出してしまったことに対する
後悔は残らないのか

かといって全12回を完走したからといって
絶対再発しないということは言い切れないし
未来は誰にもわからないということ


そして、ここまで応援してくれていて
様々な形で支えてくださってる人たち
一人一人の想いがあるということ


本当にたくさんの想いが巡っている。
真実はわからない。
なにを選ぶのが「幸」なのか。


答えは出ないけど

与ったこの「身体」
授かったこの「いのち」

いっぱいいっぱい頑張ってきて
たくさんたくさん無理させてきちゃったから

これからは
なるべく優しくありたいし
生きることに喜んでいたいから

引き続き
丁寧に、慎重に、向き合い続ける。



ゴールテープは遠くに見えているような
見えていないような
そんな状況でありながら
この葛藤を言語化することに
きっと意味があると思っていて

矛盾するようだけど
忘れたいような、
なかったことにしたいような、
そんな体験でありながら
忘れないために。



この文章読んで何か受け取ったことがあれば
遠慮なくコメントくださいね。
お返事するの亀さんですが
一つ一つ目を通していますのでにっこり飛び出すハート

赤薔薇

あやです赤薔薇

先日ブログにも書きました
熱い大人たちがおくる演劇プロジェクト

昨日、配役発表がありましたにっこり
この日も、キャスト一人一人にとって
とても大切な日。


まだ副作用が若干残りつつも
今日という日を取りこぼしたくない

その思いから少しだけ力を振り絞って
お稽古場へ足を運びましたDASH!


私にとって
お稽古場は元気になる場所

もちろん表現と向き合うということは
喜びだけじゃなくて
辛いことも苦しいことも
一言じゃ済まないくらいの
たくさんのことが詰まってる。


それでもやっぱり
いつだって私の心の支えになっているのは
エンターテイメントや表現の世界なのだなぁ
と感じているからこそ

お家と、病院と、自宅から徒歩圏内だけで
過ごす日々だけじゃない闘病生活を送りたくて


外に出掛けると
元気なお祭り女だと思われたりしてるのですがw
(帽子のせいかな🤔)


副作用がしんどい時以外は
なるべく自分のことを
病人扱いしないようにしてて

とはいえ
病人であることは事実なので
逐一、自分の心と身体にお伺いを立てながら
生きてる今日この頃です。




このプロジェクトは
一人一人が主役
一人一人の人生が色濃く映し出される

そして、愛実さんが書いた脚本には

出てこなくていい人物なんて一人もいない
いなくていい人なんて一人もいない




思い返せば
この企画にだいぶ早い段階から

振付をすること

そして

踊り手としての出演

をお声がけ頂いていました。


ところが今日までに
私の人生が大きく変わってしまった為に
一時はこの企画に携わること自体
難しいのではないかと危惧していました。



その可能性は今でも0ではないです。



だけど
別に私だけが特別なわけじゃない


私は誰からみても
わかりやすい困難」を抱えてるだけであって
どうにも人には伝わりづらい困難」だって
たくさんたくさんある。


みんなみんな
何かしらの条件を抱えていて
何かしらのリスクと共に
このプロジェクトに挑んでる。


もちろん
その重さ・大きさは
誰かと比べることでもなく
感じ方も人それぞれだから


強くあれ!とか
私も頑張ってんだから、お前も頑張れ!
を強要したいわけじゃなくて


やっぱり私自身を含めた全員で
このプロジェクトを
走り抜けられたら嬉しいよね、って
改めて強く思った一日でした。




長い闘病生活の中で
ある時から

これまで一生懸命生きてきたのに
なんでこんな目に合わないといけんのじゃ?
私の人生こんなことで終わりにしたくない
マジで(病気)ムカつく
今にみてろよ真顔


みたいな自分の人生に対する
謎の反骨精神が芽生えていて
(問い:毒を持って毒を制するのが正しい闘い方なのか?)


それと同時に
私は本当にたくさんの人の恩恵を受けて
支えてもらっているから
今日もここに生きている。


私がたくさんの人から
現在も受け取り続けている愛や恩恵を
今度は私がそれを必要としている誰かに
少しずつでも注ぐことができるなら


それが私にとっての一つの
いのちの使い道」なのかなぁって。


押し付けがましくなりたくないし
大前提、自分をすり減らし過ぎないという
お約束の元でね。





今、私は生まれ直してる最中。


何度だって地獄から這い上がれる
何度だって生まれ直せる



神馬 彩赤薔薇

彩ですにっこり飛び出すハート

昨日まで下北沢ハーフムーンホールで
上演していたPolygamy〜最期の告白〜
観てきました。





私も昨年の4月に
火坂陽子の命を生きさせてもらって
個人的にとても思い入れのある作品です。


私自身の「愛の在り方」について
すごく悩んでいた時期に
丁度この作品と向き合っていました。


私の人の愛し方は
「一般的」ではないのかもしれなくて
結婚して
子供つくってとかは
現状まったく考えてないですし

他人からすれば
なんじゃそりゃwって言われても
確かにおかしくないようなことではあるなと真顔



一番悩んでた時期の私は
世間体が…とか
相手が…とかなんとか言って
難癖つけて
自分がしたいこと
実際していること
好きなように生きてる癖に何故か
言ってることとやってることがチグハグで

他の誰でもない自分自身の
精神的ブロックがガチガチで


こんな異常な自分を
誰が許してくれるだろうか
受け入れてくれるのだろうか


大好きな人が離れていってしまうかもしれない
めちゃくちゃ否定されるかもしれないと思うと
すごく怖かったなって
その時のことを思い返しています。
今でも怖くないわけじゃないけどね。



悩んでいた時期に相談していた方は
私の生き方を「異常」ではなく
ユニークだ」と言ってくださりました。


ユニークでいい
別に異常だと思っててもいいし
誰だって何かしらのそういうの
あるよねって。

言えない雰囲気だったり
うまく言葉にできなかったり
言わないだけで
見えないだけで
あるある。



私は自分のしたい生き方に
嘘ついて生きてるのが
ずっとずっと嫌だったから
大切な人たちに
びーびー泣きながらカミングアウトした時
優しく受け入れてくれました。


それは彩ちゃんが辛かったね、と。




社会的にも
性的マイノリティとか
障害を抱えているとか

目に見えて分かりやすいことから
どうにも表現しづらいことまで
なにかしらの生きづらさを感じてる人が
世の中にはたくさんいる
ということを感じている中で


自分の異常さとか
ヤバさとか
醜悪さとか


カミングアウトしてもいいし
しなくてもいいと思うし
する必要もないかもしれないし


私の場合は
幸い受け入れてくれる人が周りに多くて
でも、全ての人に理解してもらうことは
難しいとも思ってるから

誰よりも自分自身が
受け入れていくこと
認めていくこと
許していくこと

自分のことは許せても
他人のことは許せないとか

逆に

他人のことは許せても
自分のことは許せないとか

まぁ生きてりゃ色んなことあるけど

自分のこと
許せない自分も許してあげて

他人のこと
許せない自分も許してあげて

そしたら
ちょっとだけ生きやすくなったかもなぁって
実感してる今日この頃で。


そんな昨日、観劇したPolygamyは
「愛すべきモンスターたち」が繰り広げる
本質的な人間社会の縮図が
大きなスケールで描かれていて

やっぱり
この作品が大好きだなって思いました。


どこまでも面白くあれるし
どこまでも深く探求できる。


私もこれまでの人生に起きたこと
一つ一つを許していってる最中。

特に
なかなか許せないことを
無理に許さなくてよいのかもって

その練習中。
ゆっくりねクローバー

 

神馬 彩赤薔薇

あやですにっこり飛び出すハート



闘病中の為、絶賛休業中なのですが

実は一つだけ
振付師として関わらせていただく
プロジェクトがあります。


その名も
「熱い大人たちがおくる演劇プロジェクト」


演劇経験ほぼゼロの熱い大人たちが
本気の演劇公演に挑むプロジェクト。


本番は11月上旬でプロジェクト自体は
すでにガッツリ始動しています。

私は動画配信で
お稽古の様子をみていましたが
体の調子もよかったので
先日行われた配役オーディションに
審査側として参加してきました。


この3ヶ月間は
自宅と、病院と、
自宅から徒歩30分圏内で生きていたわけで


家の人からは心配され
出かけることを若干渋く思われながらも
ちっとも言うことを聞かない私は
久しぶりに
メイクをして
電車に乗って
稽古場に足を運びました。



この日は
配役を決める為のオーディションという
一大イベントであり
とっても大切な日。


想像以上にたくさんの人がいて
それはそれは賑やかで
覚悟していったものの
長いこと静かな日々をおくってきた私は
身体がとてもびっくりしてしまい
帰宅してから次の日までぐったり🫠


いきなり刺激が強すぎた昇天


だけど顔出せてよかったな。
皆の顔をみれて
皆の声をきくことができて
想いを知ることができた。

稽古場に着いた瞬間、皆が駆け寄ってきてくれたの

本当に嬉しかったなぁニコニコ飛び出すハート



オーディションを見ていて
自分自身のこととも重ね合わせながら
こんなことを思った。


悔いの残らないように生きるって難しい


どんなに頑張って生きてきても

どんなに一瞬一瞬を
最善に生きてきたとしても

「あの時ああしたかったのに」
「本当はこう言いたかったのに」

って思うことが
山ほど出てくるもので

まさに私自身も、これまでの人生に
「後悔」を感じてる日々の真っ最中。


私の場合は
人と関わり合いの中での後悔が多くて

例えば
「勝手にあなたにとっての
都合のよい私を作り上げないでよ」
と言いたかったのに言えなかったな、とか

あの人に本当に伝えたかったこと
まだ素直に伝えられてないな、とか

もし明日、死ぬんだとしたら
言えなかったことシリーズが多すぎて
後悔することだらけだなって。


人と共に生きる為には
どうしたって我慢が多くなってしまうものね。


そんなようなことが
静かに過ごす日々の中で
山ほど浮かんでくるから
一つ一つを癒していく為の
闘病の時間なのかなって思ってて。



オーディションで言えばさ

大事な局面で準備不足だったな
と反省することもあれば

どんなに準備してきたとしても
思うようにいかなくて
悔しさが残ってしまったりだとか

いや、自分はやりきった!と胸を張れれば
それはそれで素敵なこと。


そしてオーディションといえば
結果が伴うものだから

希望が叶う人も
そうでない人も
一喜一憂するんだと思うけど


悔いの残る人生が
素晴らしくないというわけではないのよね。


大切なのは
それでも悔いなきように生きたいと思って
行動し続けてきたかどうか。


私も後悔だらけだって言ったけど
でも、自分のこれまでの人生は
本当に頑張って生きてきたんです。
難しいことや苦手なことの中でも
最善を尽くしてきたんです。



日々をどう生きて
どんなことに目を向けていて
なにを積み重ねているのかは
必ず板の上に乗ると思う。


それは本当に尊いもの。



もしかしたら
一度、辛さをどん底まで体感しないと
深淵に触れるような思いをしないといけないかもしれない。


でもね
底に触れてからの
燃えるような生命の輝きは
もしかしたら
誰かの心を癒すのかもしれない
誰かの人生を変える力もあるかもしれない


熱い大人たちがおくる演劇プロジェクトは
そんなようなことが
醍醐味なのかなぁと感じた一日でした。




私は全然、現場の状況をわかってなくてね

そんな私に
このプロジェクトで何ができるのだろう。

どうしても心も体も
あまり無理できない状況の中で

それでも生命を捧げて
このプロジェクトに関わる意義とは
なんなのだろうか。
 

 


私が元気になって
この現場に復帰することで
誰かの願いが叶うなら

私が一緒に生きてきた「この身体」で
板の上に立つことで
説得力を持って
想いを届けることができるのなら。


たくさんの人から受け取った
愛と、想いと、祈りを表現に昇華して
また必要な誰かの心に届いたらいいな。


そして、目の前の人と
どんな幸いを育んでいけるのだろうか

それが、とても楽しみだ。



つらつらと書いたけど

自分に優しく
人に優しく(愛ある厳しさも優しさ)

そして
一人で背負いすぎない

自分自身との約束。

 

 

あやでした赤薔薇