【神馬 彩 Official blog】彩~いろどり〜

【神馬 彩 Official blog】彩~いろどり〜

心と体を扱う表現者として、生きるということを、
ありのままを、飾らずに綴っていきます。
Since 2011〜


月に1度開催されている
MENSAの哲学カフェというオフ会に
今回も参加してきた!レポその②書けた!
書き始めたら相変わらず長めだから
読めたら読んでね〜🙃




⭐️参加する意義を改めて⭐️

前回は初めての参加だったので
どんな人がいるのだろうと恐れ慄いていたけど
結果とても安心して参加できたこともあり
今回はどんな話ができるのだろうと
ワクワクな気持ちの方が大きかった😊

顔ぶれはほぼ初めましての人が多かったので
前回とはまた違った雰囲気でしたが
参加されていた人が口を揃えて仰っていたのは
「哲学のような答えのない話に付き合ってくれる人が周りにいないので、なんの気兼ねもなく話せることが嬉しい」と。

私も周りにそういう深い話ができる人とがいないわけではないけど、社会生活の中で周りの人と話が合わないことによる孤独感や物足りなさを感じることも多いので、この会はとてもよい刺激があり、好奇心が満たされる場所となっている。


⭐️哲学会の楽しみ方⭐️

今日のテーマは「幸せとは」でした。

究極的なこのテーマを
まずは個人で深掘りする時間を設けた後に
全体でシェアし、その人の意見に対して感想や質問があれば投げかけていくスタイルです。
テーマは毎回違うもので、参加者が提案したものをくじ引きで決めています😊

お約束としては
・相手の意見を否定せずに、まずは受け止める
・誰か一人だけが喋りすぎることのないように
 全員で話しやすい場を作っていくことを意識する
・誹謗中傷、攻撃的な発言はもちろんNG


誰かを論破する場所でもなければ
この意見が優れていて
この意見が劣っていると比べることもなく
答えを出そうとする場所ではない

ただ興味を持って知ること
知見を広げていくこと
そして最終的には
それぞれが深めていくこと


参加してる皆様の経験に基づいたお話を聞いて
世の中には様々なバックグラウンドの人がいて
自分が知っていることなど、ごく僅か。
自分がみている世界がいかにちっぽけなものかと思い知らされる場所でもあります。



基本的に人と比べることは不幸の始まりだと思う一方で
他者と関わりの中で、己の「足りなさ」や「伸び代」に気がつくこともまた一つの楽しみ方だなぁと思っている。


⭐️賢い人達の中に放り込まれて気がついたこと⭐️


◇私の強み◇
誰にでもわかりやすい言葉でシンプルに伝えられる
難しい話を「つまりこういうことね」と具体的に要約できる
(多分ね)

私が同じことを説明するとしても
その言葉は選べないなぁと感じることも多く
皆さま語彙力が非常に巧みです。
私はそんなに難しい言葉は使えないけど、シンプルに伝えられるということも一つの強みかなぁと感じました。


◇前回からの進捗&今後の課題◇

誰かの意見に対して気になることはあっても
質問することに躊躇してしまう傾向があって
前回は一度も質問せず終わったんだけど
今日は質問できた🙋‍♀️

それでも疑問や引っかかりを感じることはあっても
自分の脳内でまとめてるうちに先に完結してしまったり
先に誰かが聞きたかったことを聞いてくれることが多くて
あまり積極的に質問することはなく🤔


別にそれでもいいのかもしれないけど
言語化の解像度を上げていって
ガシガシ質問していけたら
より理解が深まるだろうなぁとは思う。


そして質問じゃなくても
共感します👍の感想を伝えるだけでも全然OKなので
「どこに共感したのか」を素早く言語化できる力をつけたい次第。


⭐️まとめ⭐️

謙遜しすぎもふざけんなと言われるかもしれないけど、いまだに己の知能がメンサ基準に達している実感が薄くて、疑い続けてる自分もいる。


そもそも「賢さ」ってなんだろう?って考えたときに

①言葉を理解する力
②目で見て素早く理解する力
③記憶力
④処理速度

色んな「賢さ」に分けることができて
全ての能力が高い人もいれば
どれかが突出してる人もいるんだと思う。

やっぱりメンサは頭の回転が速い人が多い印象で
その中でも私は別に頭の回転は速くないと感じている。
どちらかというと時間をかけて咀嚼したいタイプだ。

故に、私が意見を発表したあとに
誰かが質問してくれる時間が
少しだけ苦手であると感じた。

質問が高度で「そこまで考えたことないわ」みたいな質問が飛んできて、明確に答えられなかったり
しっくりくる適切な言葉が浮かばなかったり
自分で「え?これ質問に対する答えになってなくね🫠?」と感じることもあって


何が飛んでくるかわかない恐怖と
何が飛んできても打ち返せる自信がない。


こんな時に「瞬発力」があったらいいのにと思うことが日常的にもあるんだよね。


なんでもかんでもすぐに反応することがいいとも思わないけど、その場では言えずに持ち帰るよりも、リアルタイムでなるべく解像度高く言語化して伝えられた方がいいよね、っていうことは割とあるあるなので、その力をこの機会に是非鍛えたい。

(①〜③は高いのかもしれないけど、それを知ることができるウェクスラー式知能検査というものがあるので、より自己理解を深めるために今年中にはやってみるつもり。)


そもそも先述したように敵ではないのだから
安心して対話を楽しみたいです、はい😇


せっかく貴重な場に参加しているので
たくさん勉強させてもらって成長の場として活用していこう✨

おわり

Grokに
「昨今の私の心理状態を、Xの投稿からシビアに分析して」とお願いしてみた。

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【承認欲求の極端な縮小・間接化】
直接的な「私を見て!」「私を褒めて!」が消滅しています。

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と言われた。
以前はあったのに消滅したらしい。


心当たりはあって
私も最初は「承認欲求がなくなった」と思ってた。

目立ちたいと思わない。
最近は意図せず目立ってしまったり
注目を集めてしまうことに
「めんどくさいな」と感じる。

褒められたいとも思わない。
相手との関係性にもよるが
「褒める」という行為自体が
どこから目線の評価なんだろう?
私のこと褒めてどうしたいんだろう?と
穿った見方をしてしまう。

だけど、承認欲求がないわけはないと思う。
本当にないならSNSもやらないだろうから。

SNSに発信することやアウトプットするのは
自分の心に刻みたいから。
それも本当なんだけど、だったら日記帳に書くなり
自分のスマホの中で簡潔すればいい。

それではなにか足りなさを感じるということは
やっぱり人様の目の届くところに置いておきたいんだよね。

直接的に称賛してほしいわけでも
派手にバズりたいわけでも
目立ちたいわけでもない。


それよりも
私の存在や思考が、誰かの人生のどこかで
意味を持つことを望んでいるんだと思う。


間接的に、深く、誰かに理解されたい。


それはたくさんの人に、というよりは
少ない人数でも、深く頷いてくれたり
なんか心に残って、その人にとってよき影響があったのなら嬉しく思う。


更に「反応」があることは嬉しいけれど
(いいね、とかコメントとかね)
反応を求めすぎてしまうと
永遠に満たされない飢えになってしまう。


私はもうなるべく苦しみたくないから
誰かに過剰に反応を求めたり
確認することまではしない方がいいと思ってる。
確認しなくても、知らなくても大丈夫と
落ち着く安心感もある。


消滅したわけではなく
小さくなったわけでもなく
私の承認欲求は形を変えて深く根を張っている。

だから、きっとこれからも
人様の目の届くところにそっと置いていくんだと思う。

そして、誰かの目に止まって
誰かにとって意味あるものになっていたら嬉しい。
究極の自己満足だ。


《MENSAのオフ会に潜入してみたレポ①》
※②があるかどうかは謎。

さてさて
今年は去年よりも少しだけ
「外向きのエネルギーに」を掲げてみております。

去年入会したメンサを、せっかくなので活用してみようと思ってオフ会とやらに参加してみました。

きっと貴重な体験をしているんだと思うので
レポートに残しておこうと思います。


◇そもそもメンサってどんな活動してるの?

遊んでます(笑)
秘密結社ではありません。

オフ会をそれぞれ自由に開催できるので
ボードゲーム会とか、麻雀やったりとか、
ただ美味しいものを食べる会だったり、
フットサルやってたり、外国語の勉強したり、
いろんな会があります。

怪しい組織なんじゃないの????と思われるのも実態が見えないから仕方ないところではあると思いますが、基本的にビジネスや宗教の勧誘などはやめてねと明示されているオフ会が多いので、本当に純粋に知的交流を楽しんでるイメージです。
もちろん色んな人がいるとは思います。
驚愕するレベルで賢い小学生もいます🙄

興味があるオフ会に気軽に参加できる。
参加してる人はみんな頭がいい。
そんな感じです。


◇その中でも私は『哲学カフェ』に潜入

せっかく入ったしなんか参加してみるか〜と思い立ち
一番興味をひかれた哲学カフェに参加してみた。

10人くらいで集まってお茶しながら
テーマを集めて、ランダムで決めて
それについて意見を共有し合って
深め合うみたいな会です。

因みに今回のテーマは「人の美しさとは」でした。

過去には「生命とは」「賢さとは」「家族とは」みたいなテーマもあったみたいです。


◇参加するにあたり不安だった点

どんな人がいるんだろー
話についていけるのかしら
哲学ガチ勢(大学では哲学を専攻していて〜みたいなガチな専門家みたいな人)ばかりだったら詰む
そもそも哲学ってなんや←
人間怖い(がくぶる)


◇実際参加してみた所感

そんな不安や心配も払拭されて
二次会に行っちゃうくらい楽しめました✨

確かに皆さん、めちゃくちゃ頭良くて
選ぶ言葉とか、言語化の解像度とか
質問の精度がとても高かったり

人様の意見をもとに
「それがそうなら、これはどうなる?」みたいな
多角的に物事をみる視点に優れていたり

一見、全く違う意見かと思いきや
言葉選びや表現の仕方が違うだけで
実は根っこの部分は同じことを言ってるよねみたいなのもあったりで面白かったなぁ。

安心して心ひらいて話ができる空気感でしたし
話聞いてるだけでも勉強になった。

もっと言語化の解像度あげたいな〜
踊りの解像度もあげたいし
その辺りは繋がってる課題だなぁと思いつつ。


賢い人たちの集いというのはそうなんだけど
それよりも「探究心が強い人たちの集い」という印象だったのが、私は仲間をみつけたような嬉しさを感じたポイントでした。

メンサ=IQ自慢みたいなイメージが強いけど
「似たような波長の人達が集まる場所」なんだなって。


なんかね
彩はダンサーなんだから
あんまり頭で考えない方がいいよとか
頭でっかちになるなとか
考えすぎでしょもっと気楽に生きればとか
色んな人に、色々言われたこともあったけど

やっぱり私は答えがないことを考えることが好き。
その方が私らしいのかなってやっと思えるようになった。
死生観とか人生について深く考えることが
ひいては踊りに生きてくると信じてる。

思い返すと
「私がもっと自分の能力を出したら浮いてしまうかも」
「周りに合わせてた方が楽かも」という空気を感じて
自分の可能性を低く見積もっていたなと。
周囲の反応を過剰に読みすぎていたのか、否か。

もちろん私の可能性を見出してくださった方もたくさんいたけど、どちらかというと自分の持っている能力に自信が持てない人生だった。

でも、この場所は同じようなことを感じて
悩んできた人も多くいらっしゃって
そういう人たちとお話できたことが嬉しかったな。

しばらく人と繋がることや交流することから距離を置いてきたし
やっぱり人を選ぶということや
人との距離感というものには
引き続き慎重でありたいと思うのは変わりないんだけど
ゆるーく私のペースでメンサというコミュニティで遊んでいけたらなと思う。




人と繋がっていることを
目に見えるもので確認して安心したいのが
人間の性なんだと思う一方で

SNSの使い方として
ブロックされたブロックしたとか
ミュートされてるミュートしてるとか
フォローしたフォロー外したとか
本当はそんなに重く捉えなくてもいいし
もっと気軽に活用したっていいのではとも思う。

決して
「そんなことで傷つくな」という話ではない。
私も「された側」の立場であれば
誰にされたかによってはちゃんと傷つくと思う。

人との繋がりに対して
軽率でいいという意味でもない。
SNS上での繋がりを整理することは私もあるけど
それは繋がりを軽んじてるわけではない。

SNSでの繋がり=リアルなその人との繋がりではないと思うから。

.

「いいねがない」とかも、そうだよね。
いいねしない=興味がない・賛同しない
というわけでもない。
もちろん、その意味であることもあるけど。

.

フォロー外したから嫌いとも限らないし
実際、会えば普通に話せたりするし
距離を置きたい時期なだけかもしれないし
心の容量は人それぞれ。自衛は必要。
受け取りたくない情報だってある。
その人なりの事情や心境がある。
.

SNSの使い方は様々。
受け取らないといけないことなんてない。
誰かに働きかけたいというよりは
日記やアウトプットの場として使ってる人もいる。

実際、私もInstagramはほとんどの人のフォローを外させてもらって、完全にダンス記録用媒体として使っているし、Facebookも2000人くらいいた友達を面識のない人は全員外させてもらって500人まで整理しクローズドな場所とさせてもらった。
その代わりXは基本的にオープンな場所として使っている。

ご縁があればまた繋がることもあるだろうし
なければそれはそれとして。
.

見たくないものを見ない権利もあれば
見せたくないものを見せない権利もある。
.

もちろん本当に嫌われてることもあれば
静かに縁を切られた可能性も多いにある。
舞台から身を引いてる私はもはや
ほぼSNS上でしか繋がってない人も多いから
事実上それが縁の切れ目にもなりうる。
思い出も記憶もありますから
全く寂しくないと言ったら嘘になる。

でも互いの心の自由を奪うことは
本当はよろしくないと思う。
私も誰かの心の自由を奪ってるんだろうから
これはどうしようもない私の弱さだ。
それを許して受け入れてくれてる人を
本当に大切にしなければいけないと思う。

.

相容れないことも受け入れないと
他人をどうにかしようと躍起になってしまう。

全部は手に入らない。
全部は思い通りにはならない。
一喜一憂してたら身が持たないよ。
 
 
ゆるーく息してこ。




2026年

少しだけ外向きのエネルギーにしていきたいという話。




まず、安心安全という土台は絶対だから

今年も無理なく仕事は続けるのが大前提。



これは生きていく上での苦痛を減らすためでもある。

仕事自体が苦痛になってしまうならやめ時かなと思うけど、今の職場にいることが最小限に苦痛を抑えられるのではないかと、今のところは思っている。


人間関係は最低限。

私がやりたい時にやりたいことをやるための

時間とお金とエネルギーの余力も

ここで得ることができる。



闘病してから、なかなか外向きのエネルギーになれなかったけど、少しずつ外の世界と繋がろうとしている。

自分が許可できる範囲を丁寧に見極めながらだけども。



外向きのエネルギーになれない自分がダメだとか

責めているわけではなく

それだけ慎重にならざるを得なかった。

これからも慎重であり続けるとは思う。



毎日目まぐるしくて刺激的な日々も

いきすぎると苦痛になるけど

退屈な日々も苦痛になる。

バランスをとっていかないといけない。



だから今年は1回は舞台に出たい。

それもどんな形で実現するかは、よくよく考えるつもり。



それから、せっかく入ったMENSAも活用してみようかと思う。

1度だけ50人くらい集まったオリエンテーションに参加したけど、面白そうな人がたくさんいらっしゃったので、会合をよく選んだ上で人と交流してみようと思う。



もう一つやってみたいことがあるけど

それは内緒。




外向きのエネルギーになって

人と繋がることを再び始めるであれば

忘れてはいけないことがある。


心を守ることだ。


見えないなにかに振り回されたくない。

そこに使う心とエネルギーはもうない。


これまでも実践してきたし

何度も言い続けてきたことだけども

人は簡単に影響されるし、忘れてしまうから

自分の心に刻むために、改めて書いておく。



【①必要以上に求めないこと】

求めること自体を否定するのではなく

心が何かを渇望し続けるのを

ただ静かに見つめ続ける。

際限なく求め続けることの

苦しみとリスクを理解した上で。



【②むやみに反応しないこと】

「相手を変えよう」「状況をどうにかしよう」の前に「私の心が反応している」と一呼吸置く。

反応に対して、さらに反応しない。

省エネで🆗


反応しないことは我慢することとは違う。

我慢は蓄積。

反応しないことは身体の中を通過してる、

もしくは一時的に滞在しているだけなので

嫌なものを敵とみなして戦わない、流す。



【③境界線を愛すること】

あえて期待に応えない。

残念がられても大丈夫。

線引きした距離感でも付き合える人と付き合っていく。



まぁ完璧にはできないから、練習のつもりで。

何が起きてもなんとかなる。


消耗せずに、なるべく苦しまずに、

そこそこ自由であればOK


自分との約束。