神様の話たくさん出てきますし、
だいぶぶっ飛んだ話しますが、
おもしろおかしく読んでください
人は生きている限り必ず罪を背負っています
例外なく必ず、です
例えば、
「友達を裏切った」
「親を傷付けた」
など
大小関係なく様々な罪があります
罪とは自分の意識が罪の意識を感じれば
それ次第で罪となるので、
あらゆる事が罪となり得るのです
誰にも迷惑をかけずに
なんの間違いも犯さずに
清廉潔白で生きている人なんて一人もいません
罪の中には清算できることもあります
例えば、
パートナーを深く傷付けて
ちゃんと話し合って仲直りし、新たな歩みを始める
これは「深く傷付けた」という罪を清算できています
でも、
罪の中には
後悔してももう遅い
後の祭り
ってこともあります
例えば、
パートナーを深く傷付けた
そして、そのパートナーと仲直りすることができぬまま
死別をした
極端な話かも知れませんが、
もう清算しようにも清算できないのです
このように世の中には
「もうどうしようもない過去の罪」に苦しんでいる人っていると思います
かくいう僕も
内容は話せないですが、過去の罪を感じ
「でも、もうどうしようもない...」と思っている出来事があり、
神様にどうしたら良いか聞いてみました
(犯罪とかじゃないですよ)
罪の意識から救われる為には?
すると、
「宇宙の中心に座す最高神」と言われている天之御中主神(アメノミナカヌシ)が答えてくれました
かなり深いので心して読んで下さいね
▽ここから▽
世の中には「罪を背負う者」と「罰を受ける者」がいる。
だがそのどちらも大差ないのだ。
なぜなら「罪」は一人で背負うものではない。
「罰」とはそれを刈り取るものであり、背負うものなのだ。
私たちはそのどちらにも良し悪しはつけていない。
人間である以上、「罰せられること」は存在する。
苦しみを持って罪を償い、苦しみを持って生き延びる。
そんな人間たちの作った縛りの中で生きていかなければならない。
だが、救いの道は作られている。
私たちは「その者たちがどのようにその道を生きていくのか」
そこに興味があるのだ。
罪を犯したこと。
罰を受けること。
そのどちらも寛容しない。
ただどのように立ち上がって生きていくのだ。
その生き様を見せてみよ。
△ここまで△
僕自身、悩んでいた事があったので、
これは心に深く突き刺さりました
深いですよね...
次回は、この解釈をしていきます