色遊びのレッスン代表RYOのブログです。
初めて3日目ですが、なんとまぁこんなにも
書き記しておきたいことが溢れてくることに驚き
もしかしたらこういう時間を私は欲していたのかもな、と思います。
インターネット上にある情報量が
地球上の砂粒の数を超えたのが2010年だそう
地球上の砂粒って何個あるん、て感じですが
ハワイの研究家が、一個の砂粒のある程度の大きさをもとに、世界中の砂浜の面積やらで計算した数が1ZB(ゼタバイト)らしいです。
キロバイト
メガバイト
ギガバイト
テラバイト
ペタバイト
エクサバイト
ゼタバイト
だそうです。
もう想像もつきませんね。
2023年には情報量が35ゼタバイトになった?とか。現代人が1日に受け取る情報量は江戸時代の1年分、平安時代の一生分とかも言われますよね。
そりゃあ、情報洪水時代通り越して情報津波時代![]()
情報収集と情報処理だけで精一杯です。
だからこそ
ひとつの物事にたいして
立ち止まってじっくりと考えたり、
情報をもとに自分なりの意見や感情を
アウトプットする機会や
そもそも情報から離れて、
自分自身と向き合う静かな時間が
ほんっとうに、切実に、必要だと思います。
・・・・・・・・・
今日、私のアトリエ「にじいろ工房」がある大阪あびこのご近所さん
フリースクール「ろ〜たす」代表松下さんとお話しをしました。
とても興味深い話を聞けて有意義でした!!
学校にいけない子が増えていること。
これは事実。
その背景にあるものは千差万別。
時代と共に変化していて一昔前とは様相が変わっていること。
不登校に対する是非も捉え方も様々。
原因・理由は一概には言えないし、あれもあり、これもある。
先述した情報量の多さによる思考力、決断力の低下も一因。しかし議論はどこまでいっても「仮説」でしかなく・・・
周りの「対策」や「支援」はもちろん大切であるものの、やはり根本的には「その子自身の力が自ら育つ」必要があるのだろう(...と一旦私は着地させた)
当事者の方々からすれば想像の及ばない苦悩や葛藤があるはずで
机上の空論でいい加減なこと言うな!
と思われるかもしれないけど、批判も覚悟で恐れず綴ろう。
何が必要で何が不要で
そこに私は何が出来るのか?
「⚪︎⚪︎のためにすべきこと」で検索すればきっといくらでも出てくるし、生成AIに聞けば、過去のデータから最適解を教えてくれる。
でも、その先は「想像力」が必要。
「やるべきことリスト」だけを与えられても、頭の中にビジョンを「思い描く」ことが出来ないと人は「実行」には移せないものなのだと思う。
ビジョンは他の人から与えてもらったり
AIに作ってもらうことは出来ない。
自分の中の源「想像力」からしか生まれない。
「やるべきこと」より「やりたいこと」を。
「正しさ」より「喜び」を。
・・・
話があちこち飛んでしまうので
戻そう。
色遊びは、
絵心や技術は不要、老若男女、
子供からお年寄りまで
またハンディのあるなしに関わらず
誰もが色やアートを楽しみ
そこから自分の感性の輝きに気づき、
無限の可能性・創造力を発揮して生きるための
きっかけ作り・場所作り・繋がり作り、が出来ると思っている。
だが、それもまだまだ「仮説」の段階でしかなく
本当に色やアートが、色遊びが、人にどういう効果を与えられるのか、幸せに出来るのか
仮説を確信にするためには
「やってみる」しかない。
「君たちは実験台」と言えば語弊があるが
人生は自分の脳と身体と時間を使った実験だ
なるほどこうしたらこうなるんだ
これはすごく嬉しいからもっとやろう
これは悲しいからもうやめておこう
どうしたら、こうなれるのかな
仮説・実行・検証・改善
幸せになるための実験を日々繰り返していく
実験だから失敗も当然ある
仮説が間違ってると気付くことも
意外な結果になることも
でもやってみないとわからなかったことだし
それが実験の目的なのだから
恐れずに、好奇心を持って、楽しめば良い。
こどもに限らず、
「失敗したくない」「失敗してはいけない」と
過剰に恐れすぎてると感じる。
誰もが知ってる言葉だけど
「失敗は成功のもと」
失敗なのか、成功なのか、
一応成功だけど改善の余地ありなのか
失敗だけど次へのヒントになった、なのか
とにかく
やらなきゃ、わからない
やれば、何かしらの結果が出る
あとは
「やってみよう」の意欲
その「意欲」をどう育むか、
どう引き出すか、が鍵なんだろな〜🔑
まぁ、とにかく
やってみよう!
2025.2.6
RYO