いつかきっと~起立性調節障害からの足跡~ -21ページ目

いつかきっと~起立性調節障害からの足跡~

いつかきっと元気だったあの頃が戻ってくるよね。

真っ暗だったトンネルに小さな光が見えたから。


今日は心理の先生のところに行ってきました。



今日相談したかった、『電車に乗る事』。



トラウマがあり、もう長らく電車に乗れていないのですが「もしかしたら少しの距離だったら大丈夫かもしれない」と思うのです。(トラウマについてはまた後ほど詳しく書きます)



しかし、トラウマがあることに挑戦するときは、担当の先生又は心理相談の先生に相談した方が良い、と書いてあったので一度相談してからすることにしました。

やり方を間違うと、かえって悪化してしまうことがあるので、みなさんも気をつけてくださいね^^



いきなり電車に乗るのではなく、「まずは、駅に行く事から」と言われました。

入場券(?)を買って、電車の中にはいってみたりするだけ。

焦らずに、少しずつゆっくり克服していきます。



焦らない、焦らない、







あれから私は元気になり、控えていた駅伝の地区大会、県大会、文化祭、と学校行事をこなしていました。



駅伝は部活行事ではなく学校行事なので、構内選考から始まります。(練習は夏休みから始まっていました)

陸上部としてのプライド、負けず嫌い、よりみんなと差をつけたい、そんな思いで練習に取り組んでいました。

だからなのか、普段の陸上部の練習よりも、体力的にも精神的にも疲れていました。

それに加え、キャプテンにも選ばれていたので。

人一倍、みんなのことをライバル視していました(笑)



体調を崩して練習に参加できなかった分を取り戻すのはとても大変で、タイムもがた落ちしていました。

後輩にぬかれたことが悔しくて悔しくて、涙が溢れるのを必死で我慢しました。

大会まで時間が無いのに、そんな時期にタイムを落としてしまったことで、「キャプテンなのに…」と情けなくて。



それでも私は1区を任されることになりました。

私でいいのか、そんな不安は当日まで続きました。



「キャプテンに選ばれた事、○○ちゃん(私の名前)にとってはそれが少し負担になってなかもしれないね」って保健室の先生が言ってたよ、と後になってから母から聞きました。

気負いしすぎてたかな、と今となっては思うのですが私の性格上、当時は楽に考えることは出来なかったのですね。

友だちに相談したりも出来なかったのです。



駅伝大会が終わると文化祭。



委員長もしていたため、日に日に忙しくなっていき、朝早く登校し、昼休みも使い、放課後は下校時刻過ぎまで学校に残り作業する毎日でした。

忙しくてばたばたな毎日でしたが、毎日本当に充実していました。

楽しかったな~^^



そして、この後また体調を崩しました。







勉強をする集中力が続かず苦戦です;

今日は終わりにして、また明日。

間に合うかな~不安…


明日は心理の先生のところに行ってきます。