考え方を変えることで、解決する問題がたくさんあると思う。個人的な気持ちの問題も含めて、考え方を変えることで感じ方が変わって、別の色の心情が湧き上がってくることがあると信じている。
でも、考え方を変えるのは、言うほどたやすくできるものでもないのも事実。
言葉はとても勇気をくれるけど、それが体に溶けて隅々までいきわたるには、その言葉の真実性の理解が必要になる。
一つの事象を、様々な角度から眺めてみることは、平面から立体に立ち上がるように、まるで手のひらで握ることができるような、より体感的な理解に繋がる一つの方法だ。
様々な角度には、自分の考え方や感じ方とは違ったもの、真逆のもの、想像したこともなかったようなものの見方等が必要になる。
そうした全体像を把握したうえで、自分が立つべき位置を俯瞰して理解していることが大切になる。
一方、自分が立つべき位置は、その背景によって裏付けられる。例えば、経済状況や家族構成、思想や信条、出身地や国籍、性別など。
ただ、こうした背景は、必ずしも他のものと比較されて、自分自身で理解できているものでもない。
生まれて、自然と整えられてきた環境から生じてくるものであるという側面は否定できないと思う。
そのため、他の環境に根差した背景を理解したうえで、それから生じる考え方を一つ一つ自分の中に列挙して、そこから同じ事象を捉えることができるようになるためには、柔軟な感じ方と固執しない感情が必要になる。
正しいか、間違っているか、正義か、悪かではない分、簡単に誰もが納得するような太い線で区切ることはできないのが、そこには含まれている。
つまりは、考え方を変えるとは、これまでの自分の背景を別のものに入れ替えること、時には否定することにも多少なりともつながっていくことになるため、簡単には受け入れられないのだろう。

いつか感じた気持ちによく似ていることを思い出した。
25歳の時、就職が決まって、初めて仕事をした日、家に帰って感じた、あの何とも言えない挫折感にもよく似た落胆の気持ち。
率直に、こんなことをするために、大学を卒業したのか、卒業しても、結局は、こんな仕事しかできないのか、といった、期待外れというよりは、失望感。
全てを、網膜色素変性症のせいにするつもりはないが、人生の節目節目で、この病気のことを、自分自身がこの病気の患者であることを強く意識せざるを得なかったのもまぎれもない事実だ。
大学を卒業して、就職活動をしたが、あのバブル期でさえ、企業からの内定は一つももらえなかった。
国家公務員試験には合格したものの、面接に呼ばれて内定はいただいたものの、病名を告げると、内定は取り消された。
そんな中で、唯一、あの大学だけが私を採用してくれた。
今、冷静に考えると、奇跡としか言いようがない。
こうした恵まれた環境にありながら、初めて仕事をした日に感じたあの落胆。それを、また、56歳の私が感じている。いや、感じようとしている。
本当に、鍼灸の仕事をしたくて、あの恵まれた環境を自ら捨てたのだろうかと、自問自答する日々。
辞めた時は、辞めること、鍼灸の道に進むことが、最善の選択であると信じて疑わなかった。56歳になっても、進める道、夢があると信じて疑わなかった。たった、4か月ほど前のこと。
状況は全く違えども、25歳の時に感じたあの気持ちと、56歳の今感じた気持ちが、とてもよく似ていることに気が付いた。
いつも、こんな風だったんだと、長い年月を超えて、また戻ってきたような気がした。結局、何一つ変わっていなかったのだと。この二つに挟まれた線の上の出来事全てが、うわべだけの薄っぺらい飾りであるように感じてしまう。元に戻すのは簡単なのかもしれない。いや、元に戻っているのだろう。
でも、これからは、薄っぺらい飾りでは隠せない。隠せないんだ。
むき出しになったこの皮膚感が、いつかのあの感覚にオーバーラップしてきた。救いは、続けていくことで、もしかすると、また違った服をまとうことができるかもしれないという期待。期待。期待。

11月30日で退職した。10月1日から2か月間。とても苦しい日々が続いた。自分で下した結論。感情に流されることなく、下したはずの決断。それなのに、その決断の理由を、確かに握りしめて、後悔の念が浮かんできたとき、そいつを突き刺して、消してしまう。それすらできなくなっていた。
苦しくて、逃げた。逃げても、別の苦しさが生まれた。
理由なんて、いくらでも並べられる。30年以上やってきた。もう視力が落ちて、文字を認識することができなくなってきた。60歳を前に、新しい道を選んで、死ぬまでの仕事を探してみたかった。経済的には、あと6年、何とかなるけど、その半分3年間で資格を取って、自分の力で仕事をしてみたかった。落ちていく視力の中で、このままへばりついて、なりふり構わず、最後まで継続していくことに、意義を見出せなかった。
どんな理由であれ、どんな嘘があれ、どこへ逃げようとも、どこに突き進もうとも、辞めたことは事実、自らの意思で決断したのだ。
今、辞めた理由を整理しても、何の意味もないばかりか、これからにとっては、邪魔になるだけ。
目標を立てて、それに向かって突き進む。達成したら、また新たな目標を立てて、さらに進んでいく。その繰り返しのはず。振り返ることは、必要ない。いや、邪魔になるだけ。
もう、結論は随分前に、自ら出している。
生きていく中で、後悔のないことなんてありえない。でも、他もない。続けていたら、別の不安と別の後悔があったのも間違いない。どのみち、不安と後悔は生まれてくる。
大切なのは、夢をもって、進んでいくこと。目標を立てて、それに近づいていくこと。
もう、取り繕うために、理由を探したり、その時の感情を思い出したりすることはやめにして、これからのこと、これから向かう先のことを考え、感じよう。少しでも膨らむように。喜びと期待で、ウキウキするようなことを。
さぁ、時間は未来から流れてくるよ。

 

 

 

助けられる瞬間。
話そうか、話すまいか?
離そうか、離すまいか?
言葉に出してはいけないことなのかもしれないと・・・、自信がないんだ。
でも、苦しいんだ。
何度も自分の中で、繰り返し問い返した。
決断した時の、その道のりを、振り返っては、行ったり来たりしてみた。
のど元過ぎれば、なんとやら・・・。
まだ、決断を覆す余地があるのではないのか・・・、まだできたことがあるのではないか・・・と、心の隙間を切り裂くように、血が流れても構わないから、大きく広げて、確かめてみる。
でも、それは、もう過去のこと。引き返すことなんて絶対にできない。
その矢印を、ぐるっと回して、これからのことに向けてみる。済んだことを指さしても、そこにはもう何も残ってはいない。仮定に仮定を重ねても、現実にはならない。
引き返せないことが、どんなに大きな不安をもたらしても、突然、その不安によって恐怖で目が覚めたとしても、過去には戻れない、引き返せない。
その不安や恐怖をぐるっと回して、これからに向けてみたら、勇気や希望に代わるかもしれない。
そんなことを、僕の大切な人が教えてくれた。
今日は、ちょっと、よく眠れそうな気がする。

10月3日、今日から、マリちゃんと朝の散歩を始めた。
初日は、塩浜運河コース。
フジクラのゴルフ場から護岸に出て、西に進む。行き止まりの階段を上がって、塩浜橋を反対側に渡った。橋の袂から、護岸に降りて、そのまま東に進んで歩く。時間もないので、今日は、八中の南海橋をくぐったら引き返すコース。
途中で、細長いくちばしが水面から出て動いているのを、マリちゃんが見つけた。
鳥だろうか? 水中にもぐって獲物でも探しているのだろうか?
マリちゃんが、写真をとるというので、スマホを渡したら、シャッターを切っていたが、なかなかうまく撮影できない様子。
南海橋をくぐって、八中の脇に来ると、1階がよくのぞけるらしく、電気がついているとか、げた箱があるとか、ビアノが見えるとか、マリちゃんが教えてくれた。
ここで引き返して、家に戻る。
来た道をそのまま反対に。
何とも言えない、気持ち。仕事を辞めて、初めての月曜日。明日も休み、その次も、その次も。さて、いったい何をすればいいのだろう?
こういうことかと、ようやく気が付いた気がする。セカンドライフとか、わざわざ察しまで作って職員に配布している意味がようやくわかった気がした。自由な感じだけど、寂しい感じ。何となく切なくて、思い出に浸ってみたくなる。浸りきれずに、グッと意識を引き戻しているのは、一種の自己防衛なのだろう。
自分で考えて、自分で決断した。それが間違いなのか、正解なのかは、誰も知らない。そこには答えなんてないから。
後悔するなら、それは間違いだったのかもしれない。続けていたら、あのままの気持ちで、ずるずる毎日を消費しなければならなかったのかもしれない。欲しかったのは何なのだろう。安心、安寧、不安のない世界・・・。
夢、実現したい夢、それが欲しかったはず。前向きに、これからを過ごせるための夢。信念をもって進んでいける、その姿勢が欲しかったはず。忘れないで。刻み込んで。いつでも、どこでも思い出せるように、
階段を下りて、家のある方の護岸に降りる。太陽が昇っているのが見えたら、ここから、水面に映る光がとてもきれいに映るのに。今日は、あいにく曇り空。このコースは、信念の運河コースと名付けようかな。