11月中に行こうと思いながらも都合が合わず、結局会期最終日の訪問となったが、なかなか面白い内容だった。

鷹野隆大氏は木村伊兵衛賞を受賞している写真家であるが、私は今回初めてその名を知った。写真を趣味とする以上、こうした流れを押さえておくべきだろうな。



展示室に入ると、白黒の影の展示が並び、順路も作品名もない。

観る手掛かりがないということは、自由に感じてほしいという意図である。しかし、日本人は「ルール通りに動く」ことに慣れているため、多少の戸惑いを覚えたかもしれない。

影の作品は通常のモノクロ写真とは異なり、輪郭が曖昧でぼんやりしている。カメラを使わず、印画紙に直接光を当てて影を焼き付ける技法であり、ファインダーを覗いて構図を決めるのとは違い、その時の光によって、影の重なりや濃淡、揺らめきなど偶然の要素も入るだろう。


写真家は光を意識するが、その対極にある影もまた意識している。影は没個性的で感情はないはずであるが、柔らかな温かさを感じる。影の重なりによってそれぞれの距離感も分かる。
 

展示方法にも工夫があり、隅にくぼみを作ってそこに展示したり、電球の光で鑑賞者の影を作品に取り込んだり、見せる大きさを変えたり、迷路のような構成にしたり、作家のこだわりを感じさせる。



映像作品もあり、走る電車の左右両面を平面の二画面で見せる作品がある。
速度は同じはずなのに、見え方が異なるように感じる。
試しに帰りの電車で両側を同時に見てみると、電車と外に見えるものとの距離によって速さの印象が変わることに気づいた。視点によって世界は変わるということであろう。



展覧会タイトルの「カスババ」は、鷹野氏の造語で「カスのような場所(バ)」の複数形とのこと。カスは絵にならない場所であり、どこにでもある街の写真である。誰も写真を撮りたいと思わない場所であるが、線や面のパターン、リズム感があり、「カス」を写したとはいえ、写真家ならではの視点を感じる。
最初は撮ることが苦しかったそうだが、続けるうちに面白さを見出したという。


私の場合は絵になる被写体を撮影しているが、同じ被写体を何度も撮っているので、自分の引き出しが枯渇して撮ることに苦しさを感じている。続けることで何かが見えてくるのかもしれない。
カスのような場所にも美しさや面白さが潜んでおり、それを見つけるのが写真家やアーティストなのである。写真を続けていると、物の見方やアプローチの幅が広がるのである。

ポートレート《IN MY ROOM》のシリーズ。
裸や下着姿であるが、自己顕示でも拒否でもなく、撮影者との微妙な距離感が漂う。ポートレートはこの距離感で変わってくる。親しい間柄なら笑顔が出るだろうし、ほとんど関係性のない人なら無表情になるだろう。屋外と屋内でも変わってくるし、自分の部屋ということになれば、プライベート空間では関係性が変わってくる。



刺激が強いと注意喚起が入り口に掲示してある小空間では、鷹野氏と男性が裸で握手のように陰部を握り合う写真があり、生々しさがあって印象的であった。《おれと》シリーズの作品である。
弱さをさらけ出すには勇気が必要である。ネットでは匿名を盾に攻撃する人がいるが、実際に相手と向き合えば同じことは言えないだろう。武装せず弱さを預ける信頼関係を築くのは理想ではあるのだが、私はそこまでさらけ出せないな。どれだけの人がさらけ出せるのだろうか。


調べてみると、美術館での展示に警察が猥褻だと介入し、表現の自由を守るために撤去する訳にもいかないので、陰部をベールで隠したという出来事があったようだ。明治の腰巻事件が今でも起こるのである。警察の方も線引きが難しいと思うのだが、アートの文脈に則った作品については介入して欲しくないな。



狭い空間でフラッシュを浴びると、壁や床に自分の影が映る体験型の作品もあった。
中に入る人数やポーズで影は変わり、没個性的な影にも動きで個性が生まれる。床から伸びた影が壁で折れ曲がると、不思議な違和感があり、自分ではないように感じた。グループで参加すると楽しそうである。

今回の特別展は、細かな仕掛けを探す楽しみもあり、写真表現の幅を感じられる内容であった。写真を趣味とする私には良い刺激となった。会期は終わってしまったが、アーティストトークなどにも参加して、もっと深く触れたかったな。