みなさまこんにちは
健やかで心地よい暮らしを提案するナースセラピストにゃおです
タイトルにもある通り、
病氣・カラダの不調お悩み相談室
~自分のカラダのためのケアは自分で決められる~
を始めようと思ったきっかけを今日は書いていきたいと思います。
(きっかけ、たくさんあるので、何回かに分けて書こうと思います)
私は看護師です。もうかれこれ通算25年くらいになります。
仕事をはじめて2年目には
西洋医学の限界を感じました
もうずっと意識が無く、
口からものを食べることも無く、
話すことも無く、
それでも表情は少しずつ変わるのでなんとなく勝手にコミュニケーション取れてる氣はするのですが、
本当に必要なのかな、、、???と思われる薬を投与し、
本当に必要なのかな、、、???と思うような治療を勧められ(手術や抗がん剤や放射線治療など)
本当にそれでいいのか、、、???と思うような治療を何の疑いも無く、
医師が言うから間違ってないと思い込んでしまう。。。
本当は治療したくないけどしなくちゃダメなのよね、としたくないことを選んでしまう。。。
本当は治療したくないのに家族が望むからと、自分がしたくないことを選んでしまう。。。
したくないことすら感じず、言われるがまま、それが当たり前と思ってしたくないことを選ぶ患者さん。。。
そう思うなら、看護師であるアナタ(私)が伝えたら、と思われますよね。
もちろん、他にもこんな選択肢もありますよ、という話はしますが、
やはり医療の現場においては医師信仰が強い方も多いです。
(私が病棟勤務していたのはもう10年近く前なので今は変化あるのかもしれません)
唯一自分で選んでいるように見えたのがターミナルケア、緩和ケアにいらっしゃる人たちでした。
残された時間をどう過ごすか、の選択肢が与えられていた
ように思います。
(緩和ケアの医療者には医師も含めて患者さんの想いを最優先するという感覚があったように感じます)
だから私はターミナル期の方と関わるのが好きなのかもしれません。
私自身幼いころから難聴がありました。
小学校の入学の検診でひっかかったみたいです。
その後は定期的に検診し、中学生の時には薬も飲んでいました。
でもそれを飲んでいても、難聴が改善されてるようには、全然感じなかったのです。
あるとき医師に、全然効いてるように思えないと言ったら
帰ってきた答えは、まぁ、気休めでしかないからね、でした。
それからは飲むのもやめました。
その後、中学、高校、専門、と学生の間はそれまでよりも特に悪化も無く、過ごしていました。
その後社会人となり、48年間生きていく中でのストレスなどもあり、
突発性難聴にもなり、
仕事を始めた21歳のころと比べて低下はありますので
今は右耳だけ補聴器を入れています。
(左はほとんど聴こえてません)
補聴器を入れてからの聴力はほとんど変化無く、
ギリギリ身障者手帳がもらえません(笑)
早々と西洋医学の限界を感じた私は様々な代替医療的なことを勉強しました。
また追々書いていきます
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